2015年 08月 11日
高良玉垂宮神秘書・ミサキカラス
ミサキカラス
先日、こんばんわんさんから、古代日本の帆かけ舟の線刻画が紹介されました。

3世紀の岐阜県大垣市荒雄南遺跡から出土した土器に描かれた三隻の船のうち二隻は帆かけ舟だということです。中央の吹き流しの様子など、生き生きと描かれています。
多くの櫂(かい)はクフ王のピラミッドの脇に埋納されていた太陽の船を思い浮かばせます。

(画像出典 ウィキペディア)
エジブトで復元された太陽の船の画像を見ると、多くの櫂が躍動的です。テレビで見た復元船には帆がついて、優雅にナイル川を通っていました。

これは、先日紹介した「ふくおか古代ロマンの旅」(福岡県大阪事務所)のイラストです。
上が福岡のうきは市の珍敷塚古墳の壁画。下がエジプトの紀元前14世紀ごろの壁画。下の画の舳(とも)を見ると、撞木鮫(しゅもくざめ)のような形をしています。
先程の荒雄南遺跡の舳の形はそっくりですね。
これらは、いずれ古代エジプト人の渡来を裏付けるものになることでしょう。海には国境はなく、古代人にとっても海洋は境界のない自由な世界だったようです。
日本とエジプトに共通する太陽の船の舳先(へさき)にいる鳥が今回のテーマです。

珍敷塚古墳では赤い色で描かれていますが、その姿はカラスを思い起こさせます。足、何本かな?よく分からない。
昨日、過去記事の八咫烏を再掲したのは、この「カラス」について考察したかったからでした。

このカラスは大善寺玉垂宮の縁起絵巻にも描かれています。しかも石人の上に止まっています。これは二本足です。
この武人像が「石人」(せきじん)であるという理由は他の人物(この画像外)が多色で描かれているのに対して、単色で描かれているという点にあります。
先日、久留米大学で吉田氏がこの武人像は磐井ではないかと発表されたのですが、カラスのことは分かりませんでした。ところが、思いがけない所にその解答が書かれていたのです。それが「高良玉垂宮神秘書」の中でした。
このカラスは「ミサキカラス」と言いました。142条
【訳】(酒見から)大菩薩は御船に乗って黒崎に上陸されて、住む所を探して御覧になると、北の方角に山があり、そこが良いと思われ、御旗を三流れ投げられた。旗はほどなく飛んで上宮の上に立ち靡いた。旗が靡くその方向を旗崎と名付けた。
また一説にはその三流れの旗が届いた?ともいう。背後を固めの兵に任せて登られた。
瀬高イチカウラへ馬で行き、山の景気をご覧になったのでイチカウラという地名がついた。
その後、遥か彼方に人が大勢見えた。「異類が攻めて来るぞ」と思われて、ミサキカラスを遣わして調べさせた。すぐに行って彼の人を噛んだ。「人形だ」と言われたので「人形」と名がついた。
大勢の人がいて、異類(異国人)に見えたので、高良大菩薩は「みさきからす」を遣わすと、カラスが人に噛みついても全く動かなかったことから「ヒトカタ」と分かった訳ですが、これが石人を指すと考えられます。
石人石馬は磐井の時代のものですから、大菩薩(安曇磯良)3世紀初頭と時代が逆転している点は、前述の仏教の話と同様、時代が分からなくなっていたからでしょう。
そうすると、この人形の話は創作となる訳です。が、大善寺玉垂宮縁起絵巻が高良山と同様の縁起を伝えていることは押さえておきたいと思います。
今回のテーマである「船の先に描かれている鳥」は筑後では「ミサキカラス」と呼ばれていたのが分かりました。「みさき」を頭注では「御前」と書いていました。
真鍋はカチガラスが八咫烏であり、賀茂氏がそれを伴って縄文弥生には渡来していたように書いています。賀茂氏は「隻眼一目の神」と崇められたともいいます。鉄を作り、金銀を作っていました。
八咫烏=ミサキカラス
国によって、地方によって言い方が違うけど、船の先で安全を確かめて導いてくれる鳥のようです。
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