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ひもろぎ逍遥

賀茂神社(1)賀茂大神はここに天降りして、八咫烏となって神武天皇をたすけた


賀茂神社(1)

うきは市
賀茂大神はここに天降りして、
八咫烏となって神武天皇をたすけた


前回の「ミサキカラスと太陽の船」を描いた珍敷塚古墳(めずらしづか)。
地図を見ていると、うきは市の吉井町にあります。

そして、話題にした「賀茂氏と八咫烏」の伝承を伝える賀茂神社は何と、お隣の浮羽町。(浮羽郡(うきはぐん)の時代の地図を見ています)

東にわずか6キロ弱です。
その近くには国指定の装飾古墳がずらりと集中しているではありませんか。

新しい地図を買いに書店に行ったのですが、うきは市の地図なのに山の方は載っていなかったので、買わずに帰ってきました。

古い地図を拡大コピーしましたが、これには賀茂神社が載っていない (^_^;)

思い余って、観光協会に問い合わせて、観光マップを取り寄せました。翌日には、到着したんです!そして、「うきは市の文化財」「うきはの装飾古墳」という、装飾古墳の冊子も入っていました(^o^)/

その冊子には地図と、出土品の展示場所も書いてありました。これで「うきは市」の装飾古墳群の概要が見えてきました。

「うきは市」って「浮羽」「生葉」-そう、葛城襲津彦が秦氏を朝鮮半島に迎えに行った時に、共に行動した氏族の本貫地です。『日本書紀』に書かれた人たちの故郷が福岡にあるんです。

そして、そこには名だたる装飾古墳がずらりとあるのです。
月岡古墳
日岡古墳
珍敷塚古墳
原古墳
鳥船塚古墳
古畑古墳
重定古墳
などなど。

教科書で見て憧れた古墳も!

例の「太陽の船」は珍敷塚古墳以外でも描かれていました。


古墳の被葬者は必ず氏神を祭祀していたはずですから、古墳の周囲の神社のチェックは怠れません ^^



少し離れていますが、まずは賀茂神社を押さえましょう。

地図 珍敷塚古墳(青)  賀茂神社(赤)





くじらさんから、次のようにコメントをいただいていました。
それから5年も経っていました(+_+)

くじら
浮羽町山北 物部郷への入り口に賀茂神社があります。

「賀茂大神は最初にこの地に天降り鎮座され、神武天皇が日向から大和へ御東遷のみぎり、宇佐から山北へ来られ賀茂大神は八咫烏(やたがらす)となって御東幸を助け奉られたので、今も神武天皇と賀茂大神を奉祀する」と旧記に記されています。
 引用元 http://ja.wikipedia.org/wiki/賀茂神社_(うきは市)

近くの高山(香山)の麓には古来より鵜飼を業となす人々、あるいは鍛冶職の人々も数多く住んでいました。加茂氏族も物部氏族も徐福と共にやってきたとも言われており、古久留米湾の干潟最深部である的邑に、ゴンドラ型の小舟で葦をかき分けやってきて住み着いたと考えられます。いずれにせよ渡来系氏族のごく初期の形態のなごりがこの地には観られます。



るな
すごい情報をありがとうございます。句読点の区切りごとに、たくさんのメッセージが入っていて、返事の書きようがありません。沢山のパズルがつながって来ました。

何層もある時代の地層の中の、それぞれの地図が明らかになる。そんな感じです。一つだけ教えていただけたら。

「物部郷」という言葉は古来から言われているのですか?また、最近クローズアップされたのですか。その流れをよかったら教えてください。

くじら
この地はおそらく『和名抄』に記録されている筑後国生葉郡物部郷のことだと思われます。『太宰管内志』ではその物部郷は「今は 廃れてなし」とされていますが、浮羽物部本家 当主の話では、少なくとも磐井の乱の時代から連綿として存続しているということでした。

そもそも浮羽の山中には製鉄地名が数多く残されており、明治までは外部の人間を一切入れなかったと聞いています。
http://ameblo.jp/pikkipikki/entry-10441301868.html

物部氏と加茂氏(秦氏)、共に製鉄氏族なのですが、物部氏は主に兵器類を、加茂氏は農具類を製造していたと聞きます。

なお、浮羽の山中には現在も物部氏の末裔が守っている高御魂神社が存在します。いつも敬虔な気持ちで参拝させていただいています。

るな
物部氏と加茂氏。兵器と農具。-漠然と想像していたのを、はっきりと書いていただいて、とてもスッキリしました。

浮羽の山中なんですね。製鉄が行われていたとは。外部の人を入れなかったなら、伝わらなかったはずです。

あのあたりは、イビザ・森の音楽館から内山緑地あたりまでなら、イメージがあります。よく行ったのに、古墳には行ってません。

高御魂神社ーさっそく地図で調べます。星野に行く途中にあった神社かなあ。いい感じの神社がありましたね。
浮羽にも巨石の盤座があると聞いていて、それも行かずじまいです。
情報感謝します。


以上が五年前のやりとりです。ようやく行くことができました。





福岡では珍しい赤い神門です。

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後由緒

当社は太古よりの霊地で、賀茂大神の御神蹟とも旧記に述べられ、神武天皇御東幸の聖蹟と伝えられ、八咫烏に化した賀茂大神の御先導より大和へ進まれたとあります。(後略)







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清らかな川が流れていました。






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御祭神
御祭神は

神日本磐余尊(神武天皇)
賀茂別雷尊
賀茂建角身尊
玉依姫尊

です。

賀茂氏がここに入植していたところ、神武天皇が宇佐からやって来て合流して東征したということになります。
だからでしょうか、神武天皇とその母・玉依姫も祀られています。でも、最後に書かれているので、賀茂玉依姫のことかも知れません。

(つづく)





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Commented by HIKO at 2015-08-17 14:43 x
我がふるさとの賀茂神社。境内にもきれいな川があるし、神社のすぐ横には川が流れているので水に関係のある社かと思っていました。
巨石と言えば、浮羽稲荷神社の裏の少し下ったところに、とんでもない巨石が鎮座し祀られていますよ。もともと周辺の柿畑にも大きな石(岩)がゴロゴロしているような土地ではあるんですが。
Commented by チェリー at 2015-08-17 22:46 x
加茂氏族は徐福と共にやってきた…
皆さんが文献から真摯に探求してみえるのに、横から変な話を差し込むのは、どんなものなのかなぁ…と思ったりするのですが、まあ、変な話だなぁという程度に聞いていただければ…
金立山の中腹に金立神社中宮という、小さなお社があるのですが、ここから真東(90.01°)に、賀茂神社が位置します。このラインが気になって仕方なかったのです。徐福の神社ですよね。
ところが、この中宮の位置も、もっと東からやってきたのかもしれないのです。長崎県松浦市の不老山です。ここから真東(89.97°)に中宮が位置するのですが、不老山も、徐福伝説の山らしいのです。
賀茂氏は徐福の船に乗って来た人達だったのかなぁ…
Commented by lunabura at 2015-08-18 00:03
HIKOさん、こんばんは。
賀茂神社は水が清らかですね。八咫烏の発祥の地かもしれません。町誌では完全に古伝が消されてしまってるんですよ。残念ですね。
Commented by lunabura at 2015-08-18 00:06
チェリーさん、こんばんは。
どんな話でも疑問に思って、追及する態度が必要です。
賀茂氏に関しては、さらに古い時代ではないかと思っています。
次の記事に書きますね。
Commented by チェリー at 2015-08-19 00:35 x
lunaさん、ありがとうございます。
勇気をいただいて、もう少しだけ…
筑前国一宮の次に山城国一宮に移る予定なのですが、ここで取り上げるのは「賀茂別雷神社(上賀茂神社)」・「伊勢神宮内宮」・「熊野本宮大社」がつくる頂角75°の超巨大二等辺三角形なんです。熊野本宮大社のシンボルが八咫烏ですよね。ですので、賀茂氏との関係が大注目なのです。
(レイライン・ハンティングの内田一成氏が提唱する「近畿の五芒星」の一部を自分なりに調べた結果であることをお断りしておきます)
Commented by lunabura at 2015-08-19 22:56
シンクロしているんですね。
安心院の話、二度目に書いて見ると、少し整理が出来たように思えます。
賀茂神社(3)に書いています。
by lunabura | 2015-08-14 21:57 | (カ行)神社 | Comments(6)

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