2015年 08月 27日
安心院 佐田の京石
安心院 佐田の京石
安心院にある不思議な巨石群。
その中の京石だけ撮影していたので、UPしますね。




このように看板にはあるけど、登山しても、巨石群を見つけることができなかった山です。
看板の左下に小さく描いてある「こしき岩」がベンベン石と言った分です。
その写真は撮ってませんでした(^_^;)
堀田氏がこれはベンベン石だと言ってましたが、ちょっと違いましたね。
以下に「こしき岩」の画像があります。
佐田京石
http://www.yado.co.jp/kankou/ooita/kunisaki/sada_kyouisi/kyouisi.htm
山と組み合わせた画像がなくて残念。
この「こしき岩」は米神山の山頂よりさらに上方を指していたような…。
数度、行ったのですが、何でか、どうも相性が悪くって (/・ω・)/
チェリーさん、在庫はこんな感じでした (´・ω・`)
すまぬ。
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びっくりして、ひっくり返りそうになりました!
私のコメントに合わせて一話UPしてくださるなんて…感激です!
今年はいい年だったなぁ〜
30基ほどに減ってしまったかもしれませんが、この写真を見るだけでも壮観ですなぁ〜日本でここだけじゃないでしょうか?
私が見ていたのは「巨石 イギリス・アイルランドの古代を歩く」という山田英春という方の写真集でした。とても似た風景です。どうしてだろう?
「こしき岩」の位置も特定できました。ここが由布岳の頂上の真北に一番近いです。0.1°くらいしかずれてないです。京石付近も含めて、火口部の真北になります。私的に、山中の祈る場所がラインでつながれることによって、米神山は由布岳と一緒になったと考えますから、妻垣神社は由布岳につながっていると言えるかもしれません。(ちなみに、由布岳頂上の真西は、大善寺玉垂宮の近くの「御塚古墳」です)
ありがとうございました。元気たくさん出ました!!
調べることがありましたら、何でも言ってくださいね!
といって、私流の調べ方しかできませんけど…
(カンジ ヘンカンができなくなってます)
そぼくなストーンサークルなら、そっくりさんがインドにも、スコットランドにもありました。
チメイも にたものが せかいじゅうに あるんです。
由布岳からラインでつなげたのが、「こしき岩」と「京石」です。この「祈る場所」ができたことによって、米神山に由布岳がプラスされたと考えるようです。次に、米神山の頂上と「妻垣神社」が別のラインでつながれるのですが、それは、由布岳がプラスされた米神山からのラインになっているということのようなのです。
もうすぐUPしますが、「筑後国一宮「高良大社」 その23 松阪の櫛田神社(4)」でも、同じような例を取り上げます。
も少しだけ…
「京石」付近は「福智山」から 119.9°になります。120°のラインなのかもしれません。「賀茂神社」が「福智山」から179.9°です。ほぼ真南になりますので、関係があるかもしれません。
長くなって申し訳なかったです…漢字変換は復旧しましたでしょうか?
登山の翌日は巨石祭りの日でしたが、あいにくの雨で場所を公民館に移しての祭事となりました。参加者が多く、巫女舞の奉納もあり盛大でした。時代が変わって人が変わっても、こうして巨石との関わりが続いているのは素晴らしいことだと思います。
お二人の話が補完しあっていて驚いています。
チェリーさんの見つけたライン上に石が置かれていたり。
米神が天神アンとすると、「米神」の意味がよく分かります。
こしき岩は誰かがセメントでくっつけていましたが、実際は儀式の時、はずした可能性もあるんですね。あの付近の謎の手掛かりがあって、目からウロコです。
るなさんの一連の記事を読んで、安心院の重要性を改めて感じます。記事にありましたように、アジムはアズミなのでしょう。観光案内では昔この地は湖だったのが次第に干潟になって芦が生え、「芦生(あしぶ)の里」から「あしふ」、「あじむ」と転訛したということですが、これはスズ鉄を採取していた部族がいた可能性を示しています。
米神山は天神アンではないかと言いましたが、メソポタミアの天神アンは数詞60で暗喩され、シュメール語で60は「アッシャム」、それがアッシム、アジムと変化したのではないかともいわれます。そうであれば、安曇族とはアッシャム族、天神アンを信仰した人々のことで、コシキ石の暴風伝承も天神アンの子、風神アネモス(エンリル)を信奉する製鉄部族としての安曇族のものであったと思います。
さらに、このアネモス(エンリル)のもう一つの表し方に、「アヅ・アッシャム・アヅ・アン・ナ・エン・リル」=「父・60・父・天・の・神・風」があり、この音が変化して「トヨ・タマ・ヨリ」となり弥生時代の倭人はそう呼んでいた、つまり豊玉姫と玉依姫は元々一つの名で、宝満・高良玉垂も同様の変化で今の発音になったといいます(川崎真治説)。
海神の娘、豊玉・玉依姫は父60天神の子、風神姫だった!というトンデモ系愛好家垂涎の結末へと進んで行くわけですが、製鉄や帆走に風は必要不可欠で、るなさんのブログや講演にあるような別の視点から見ても、この説まんざら間違いではないように思えます。








