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ひもろぎ逍遥

安心院 米神山の巨石群


安心院

米神山安心院の巨石群


 さて、安心院(あじむ)の佐田京石の上にある米神山には巨石群があるのですが、私は発見に失敗しました。しかし、tatsuさんが、見事な写真を撮ってあり、送ってくださいました。

百聞は一見に如かず!

まずはご覧あれ♪説明文もtatsuさんです。


***


9年前の米神山頂・コシキ石・京石の写真がありましたのでお送りします。
安心院周辺も丁寧に調べるといろいろ出てきそうですね。

画像の説明は次のとおりです。


安心院 米神山の巨石群_c0222861_21205361.jpg

(1)京石-1:石柱の配置は昔とは違うらしいです。同形の石は町内の他の場所にもあって、
石の下から写経が出土した例もあるということで、
今のところ埋納経の標石という説が有力です。






安心院 米神山の巨石群_c0222861_21213240.jpg

(2)京石-2:他の立石とは違い少し角ばっています。このような形状の
比較的大きな石に「猿田彦大神」と彫られたものを菊池・玉名地域の
神社境内でいくつか見かけます。Web情報では英国の遺跡にはこの形状の
石の縁にケルトのオガム文字が刻まれたものがあるようです。







安心院 米神山の巨石群_c0222861_21215689.jpg

(3)月の神石:柱状節理が倒れたもの。自然の造形でしょうが崇拝の対象に
なったかもしれません。







安心院 米神山の巨石群_c0222861_21222029.jpg

(4)登山道沿いの巨石:登山道沿いの一部にはこのような石、節理の露頭
が連なります。






安心院 米神山の巨石群_c0222861_21225413.jpg

(5)米神山頂の様子:小さな石が散在しています。環状に見えるような
角度からの一枚。










安心院 米神山の巨石群_c0222861_21232614.jpg

(6)小さな立石越しに見る由布岳:由布岳に向かって寄り添う二人の後姿…
みたいでいい感じです。









安心院 米神山の巨石群_c0222861_21234653.jpg

(7)コシキ石と米神山:るなさんが言われたように、山頂より上を指しています。









安心院 米神山の巨石群_c0222861_21241233.jpg

(8)コシキ石:円筒形の石は傾いた、ではなく傾けてあるようです。
筒は強風を発したでしょうか。




チェリーさん。
地図上で見つけたライン、見事に見えていますよ!





以下は、前回の「佐田京石」でいただいたコメント集です。


チェリー
lunaさん、ありがとうございます!!
びっくりして、ひっくり返りそうになりました!
私のコメントに合わせて一話UPしてくださるなんて…感激です!
今年はいい年だったなぁ〜

30基ほどに減ってしまったかもしれませんが、この写真を見るだけでも壮観ですなぁ〜日本でここだけじゃないでしょうか?

私が見ていたのは「巨石 イギリス・アイルランドの古代を歩く」という山田英春という方の写真集でした。とても似た風景です。どうしてだろう?

「こしき岩」の位置も特定できました。ここが由布岳の頂上の真北に一番近いです。0.1°くらいしかずれてないです。

京石付近も含めて、火口部の真北になります。私的に、山中の祈る場所がラインでつながれることによって、米神山は由布岳と一緒になったと考えますから、妻垣神社は由布岳につながっていると言えるかもしれません。(ちなみに、由布岳頂上の真西は、大善寺玉垂宮の近くの「御塚古墳」です)

ありがとうございました。元気たくさん出ました!!
調べることがありましたら、何でも言ってくださいね!
といって、私流の調べ方しかできませんけど…


るな
由布岳とは意外ですが、おもしろいラインですね。
素朴なストーンサークルなら、そっくりさんがインドにも、スコットランドにもありました。
地名も似たものが世界中にあるんです。

チェリー
引っ張って申し訳ないのですが、自分のコメントがわかりにくかったので、もう少しだけ…

由布岳からラインでつなげたのが、「こしき岩」と「京石」です。この「祈る場所」ができたことによって、米神山に由布岳がプラスされたと考えるようです。

次に、米神山の頂上と「妻垣神社」が別のラインでつながれるのですが、それは、由布岳がプラスされた米神山からのラインになっているということのようなのです。

もうすぐUPしますが、「筑後国一宮「高良大社」 その23 松阪の櫛田神社(4)」でも、同じような例を取り上げます。

も少しだけ…
「京石」付近は「福智山」から 119.9°になります。120°のラインなのかもしれません。「賀茂神社」が「福智山」から179.9°です。ほぼ真南になりますので、関係があるかもしれません。



tatsu
昔懐かし米神山です。頂上に点在する石の中に、ほぼ真南の由布岳を向くように小さな立石がありました。

この線上から逆に米神山を見ると頂上には天神アンの北極点があるわけでして、米は八角でアンの印でもあり、線上のどこかに北の遥拝所があるかもしれません。

また、コシキ岩は頭の石を外すと暴風が吹くという言伝えで、野ダタラに関係しているのではと思いました。風神だったら天神アンの子アネモスでしょうか。

国東半島周辺は鬼と呼ばれた製鉄部族がいたところ。近東から彼らと一緒に渡来したメソポタミアの神々の名残が残っているのかもしれないと想像します。

登山の翌日は巨石祭りの日でしたが、あいにくの雨で場所を公民館に移しての祭事となりました。参加者が多く、巫女舞の奉納もあり盛大でした。

時代が変わって人が変わっても、こうして巨石との関わりが続いているのは素晴らしいことだと思います。

るな
チェリーさん、tatsuさん、コメントありがとうございます。
お二人の話が補完しあっていて驚いています。
チェリーさんの見つけたライン上に石が置かれていたり。
米神が天神アンとすると、「米神」の意味がよく分かります。

こしき岩は誰かがセメントでくっつけていましたが、実際は儀式の時、はずした可能性もあるんですね。あの付近の謎の手掛かりがあって、目からウロコです。



tatsu
こんばんは。シンポジウムお疲れさまでした。

るなさんの一連の記事を読んで、安心院の重要性を改めて感じます。記事にありましたように、アジムはアズミなのでしょう。

観光案内では昔この地は湖だったのが次第に干潟になって芦が生え、「芦生(あしぶ)の里」から「あしふ」、「あじむ」と転訛したということですが、これはスズ鉄を採取していた部族がいた可能性を示しています。

米神山は天神アンではないかと言いましたが、メソポタミアの天神アンは数詞60で暗喩され、シュメール語で60は「アッシャム」、それがアッシム、アジムと変化したのではないかともいわれます。

そうであれば、安曇族とはアッシャム族、天神アンを信仰した人々のことで、コシキ石の暴風伝承も天神アンの子、風神アネモス(エンリル)を信奉する製鉄部族としての安曇族のものであったと思います。

さらに、このアネモス(エンリル)のもう一つの表し方に、「アヅ・アッシャム・アヅ・アン・ナ・エン・リル」=「父・60・父・天・の・神・風」があり、この音が変化して「トヨ・タマ・ヨリ」となり弥生時代の倭人はそう呼んでいた、つまり豊玉姫と玉依姫は元々一つの名で、宝満・高良玉垂も同様の変化で今の発音になったといいます(川崎真治説)。


海神の娘、豊玉・玉依姫は父60天神の子、風神姫だった!
というトンデモ系愛好家垂涎の結末へと進んで行くわけですが、製鉄や帆走に風は必要不可欠で、るなさんのブログや講演にあるような別の視点から見ても、この説まんざら間違いではないように思えます。


るな
tatsuさん、こんばんは。
これは興味深い話ですね。
古代のメソポタミアの言語、面白いです。
安曇族は中東から来たのですが、持って来た神々の元の姿かもしれませんね。
川崎真治説を検証する力量はありませんが、しっかりと耳を傾けたいと思います。


 * * *


さて、9月30日のシンポジウムは熊本や久留米など、遠くから来て下さった方々もあり、嬉しく思いました。

パネラーの皆さん、私と同様に福岡の伝承を引き継ぎ、次世代に届けたいという熱い思いでいらっしゃったので心強く思いました。

パワーポイントなしの説明だったのですが、面白く思っていただけたらありがたいです。

5日には九大のイベントで、志賀島の話をします。
早めに来られると、「甕のおとなひ」のDVDが見られます。
すごく感動した現代神楽です。
細胞に響きました。

ホームページに書かれている締め切りは、三日通しのプログラムの申し込み期限だそうで、フォーラム2はまだ大丈夫だそうです。ふるって御参加ください。



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Commented by チェリー at 2015-09-02 00:19 x
lunaさん、tatsuさん、ありがとうございます。
tatsuさんの写真、見事です。

「コシキ岩と米神山」の写真。私的には、真北に伸びたラインが京石とともに、由布岳の力?を受け取る地点なのですが、コシキ岩は、それを米神山の頂上に直接送り込んでいる…と思ってしまうような強烈な写真です。

「小さな立石越しに見る由布岳」の写真。この立石は、由布岳を意識したものでしょう。いいなぁ〜こんなに高度感があるんだ。抜群の景色ですねぇ…駅館川-津房川の源流の方向になるんですね。

石を立てて祈ることによって、どんな効果を望んだのか…
謎ですねぇ…

北部九州といっていいのか…ラインも聖地も本当に多いです。発祥の地であり、発展の地であると思えてなりません。
Commented by lunabura at 2015-09-02 21:35
チェリーさん、こんばんは。
tatsuさんの写真は、押さえるべきポイントが明確で、すばらしいですね。
特に、「こしき石と米神山」「米神山からみえる由布岳」は祭祀の意図を見抜いて写し込んだ逸品です。
由布岳という二上山を古代人が神聖視したようすが良く分かります。
安心院の盆地、湯布院の盆地、開拓されていった状況が目に浮かぶようです。
Commented by tatsu at 2015-09-03 19:47 x
るなさん、チェリーさん、こんばんは。
たいへんな評価をいただき恐縮至極です。こういうことなら説明文はもっとましなことを書いておけばよかったと後悔してます。撮影日の頂上は巨石祭参加者の登山に備えて草刈されていたもので、地元世話役の皆様には感謝しています。普段はあのような開けた姿ではありませんので、米神山に登られる方は事前に観光協会などに山の状況を問合わせされるのがよいと思います。

ついでにしつこく製鉄のお話ですが(^^;、古代メソポタミア地域に風神が現れるのは製鉄技術の流入と同時期という論文を読んだことがあります。それまであった天神と地母神の間に風神が入ってきたということです。風神と製鉄部族は一体のもので、年代が古いほどそう言えそうです。

国東半島には九州大学の坂田武彦氏により出土物がB.C.695±40年のものと鑑定された重藤遺跡があり、鉱物資源を求めてやって来た古代オリエントの人たちが鉄製品の生産加工拠点にしていた場所などと話題になりました。風神も奉られたと思いますが、この年代について国東市の文化財課に問合せたところ、重藤遺跡は古墳時代との見解でした。どう間違えれば1000年も違う判断になるのかの説明はありませんでした。

8月に地名研究会で古代の製鉄方法についての新しい研究成果の講演がありましたが、各地で出土する鉄の成分分析は今もってほとんど進んでいないということで、理由は積極的にする人がいないというだけのことでした。なるほどあの分野は学会ではなく業会なのだと改めて思いました。
Commented by lunabura at 2015-09-04 23:22
tatsuさん、素敵な画像をありがとうございました。
草刈りの跡がはっきりとしていますね(^_^;)
これが夏秋なら、発見できなかったはずです。

重藤遺跡は縄文製鉄と、大々的に新聞に載ったのに、ネットで調べると「縄文」の字が消えていたのは、そんな事情だったんですね。

遺跡は学会でなく、国民のものなんです。その辺り、そろそろ変わって欲しいなと思います。
by lunabura | 2015-09-01 21:28 | 宇佐・安心院 | Comments(4)

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