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ひもろぎ逍遥

伊邪那岐の禊の海が志賀島にあった


伊邪那岐の禊の海が志賀島にあった


羽根を広げたような博多湾の描き出す円弧。
その焦点の位置に志賀島がある。
島の最北部は国民宿舎があり、勝間海水浴場がある景勝の地だ。

そこには志賀海神社の三宮があり、綿津見三神がそれぞれの宮に祀られている。
沖津宮
仲津宮
表津宮
これらに祀られている三神はこの海から生まれた神々だった。

その三つの宮に囲まれた海域にはいくつもの名前がついている。

三瀬 神遊の瀬 大戸小戸 舞能ケ浜 御手洗

ここは伊邪那岐が禊をした海だった。

これは糸島の神職、宮崎大門が記録に残してくれていた話だ。
その記録を『志賀嶋所聞録』という。
次にその記録を要約してみよう。

【御手洗】
伊邪那岐大神が与美国の穢れを洗い清め給いしところ。

―イザナギは黄泉の国から戻ると海で禊をした。
衣服を脱ぎながら神々が生まれた。
海に潜ると綿津見の神々と筒男の神々が生まれた。
海と星の神々だ。
そして、最後にアマテラスとスサノオとツクヨミが生まれた。
そのうちの綿津見の三神がここに祀られている。
これを志賀皇神とか志賀大神という。

【神遊の瀬】しんゆうのせ
志賀皇神たちはこの三瀬で遊居されたことからここを「神遊の瀬」ともいう。

【大戸小戸】
神遊の瀬から入海に入ると奥に穴があった。
志賀皇神は神遊の瀬からこの穴に出入りされた。ゆえに「大戸小戸」という。

【舞能ケ浜】まひわざ
息長足姫(神功皇后)は諸臣を連れて志賀大神を招いたが、神は来られなかった。
諸臣は変だと思ったが、かがり火を焚いて天岩戸の神楽を奏すると、
志賀大神は金色の亀に乗って来られた。
ゆえにこの時の様子を9月8日の神幸の神輿の前で奏する。

―亀に乗って現れたのは安曇磯良で、神幸の夜は鞨鼓の舞が奏される。

◇◇ ◇

こうして、志賀島の北端で、イザナギの禊によって生まれた志賀皇神は、
この海域と奥の穴を行き来して遊居したという。

西暦200年、神功皇后はその志賀皇神に参拝するためにやってきた。
安曇族の祖神であり、自らの祖神にもあたる神に渡海の神助を得るためだ。

三宮の手前で馬から降りたことから、そこを「下馬ケ浜」という。
しかし肝心の安曇の長の磯良は、なかなかやって来なかった。

天岩戸の神楽を奏しようとしたが、アメノウズメの舞を舞えるものがいなかった。
臣下の中に、磯良が舞える、と言う者がいた。
磯良抜きで神楽を奏すると、磯良は金の亀に乗って鞨鼓を胸に下げ、
舞いながらやってきた。

志賀島の北端で起こった話だ。

ここでイザナギが禊をした。
そうすると、ここは「橘の小戸のアワキが原」ということにもなる。

イザナギの禊のために志賀島は禊が厳しい島となった。

志賀海神社では、参拝者は一の鳥居の前で「おしおい」で清め、
本殿前でもう一度清める。


『神功皇后伝承を歩く』下巻の表紙はこのシーンを伝えるために選んだ画像だ。
かつて神功皇后が馬から下りて歩いて行った浜辺には今も波が寄せている。

下巻には安曇族の物語が満ちている。
安曇族の功績は正史からは巧みに消されていた。
宮崎大門が残してくれた『志賀嶋所聞録』のお陰でそれを復元できた。
特に志賀海神社の項は長くなった。


奇跡的に出会ったこの小文を志賀島の方々に伝えたい。
そう思い、
今月の最終日、10月31日の志賀島歴史講座の題材に決めた。


神遊の瀬






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by lunabura | 2015-10-28 20:19 | 志賀海神社・しかうみ・福岡市 | Comments(0)

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