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脇巫女 7宇佐の姫大神 


脇巫女 7
WAKIMIKO
宇佐の姫大神


星読の託宣はまた時代を変えた。

<「もののべ」によって星読みの民はこの地を追われ宇佐へ
          ・・・・姫大神となった三女神>


「星読みの民」すなわち鞍手族(國栖)は
「もののべ」の上に君臨していたはずだが、その「もののべ」から追われたという。
そして、宇佐に至り、姫大神となった。

宇佐の謎であるヒメ神とはやはり三女神だったのか。
星読はたぶん、ヒメ神が謎の神だ、ということなど知らなかっただろう。

私も、これまで注意して各地の祭神を確認していたが、
すべてが宗像三女神としていた。
ここに星読の託宣と各地の伝承は一致した。

しかし、私の中にはまだ受け入れられない部分が残っていた。
頭ではすごく納得しているのだが。


それにしても、鞍手でいったい何が起こったというのか。
「星読みの民」は何故追われたのか。
星読のリーディングを待つしかないが、私は別の件で驚かされた。

それは、占星術の件だ。

あの真鍋大覚が、宇佐神宮の託宣は占星術で占われたと書いているのだ。

宇佐に逃げ込んだ「星読みの民」の占星術が花開いたというのか。

真鍋によると、
宇佐と出雲はもともと同族で、のちに分かれたらしい。
その証が四拍手なのだろうが、
このときの出雲とは遠賀川流域と私は考えている。

「星読みの民」は湊を造成する技術もあったため、
物部の手が及ばぬ宇佐に受け入れられたのかもしれない。

何としても、真鍋の伝える渡来人たちの全容を知りたいのだが、理解が困難だ。
今日、関わる部分だけ、抜いてみることにした。

八幡は舟人で、太白暦(金星暦)だった。のちに八幡は宇佐と結託する。

後には河童と呼ばれる國栖(鞍手族)は「つき人」と呼ばれ、太陰暦(月暦)だった。
國栖は磯城(しき)という石積みを作った。

石上(いそのかみ)は磁針作成の達人で、やがて舟人の八幡と結束する。
石上は物部のことだ。

同じように星を観測する民であっても、
「暦を作る物部」と「占いをする八幡や國栖(鞍手族)」とでは
理解し合うのは難しかったのかもしれない。



2015年11月20日

                 (つづく)






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by lunabura | 2015-11-20 23:49 | 「脇巫女」 | Trackback | Comments(13)
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Commented at 2015-11-22 02:07 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by lunabura at 2015-11-23 13:49
今度、詳しく教えてください^^
Commented at 2015-11-23 21:54 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by lunabura at 2015-11-25 21:12
奥深い話をありがとうございます。
天山の弁財天が天河に遷った話は宮司さんに確認しました。
隼人のことも、これから出てきます。
検証のフォローをお願いしますね。
Commented by furutsuki at 2015-11-26 01:33 x
こんなことを考えながら拝見しました...。 月暦(月読み)の人たちは、月の満ち欠けはもちろんとして、白道と黄道の交点がずれていくを観測するために、日の入り直後の東or天頂の星座、月が昇る方位と背景の星座を観るのですよね。そうすると、西から南西および東から南東の方位がひらけていてダラダラと低い山並みになっている小高い丘のような場所で、さらに南方に目印の山か丘があるような場所が観測の適地であろうと思います。例えば、埴生神社とか荒五郎山とか古野山のイメージです。すぐ南に池があると正中線が確定しやすくてなおいいですね。 北天を観る星読みさんとは観測適地の捉え方が違う気がします。 南天を見る星読みさんとは観測適地が競合するかも・・・。太陽暦の人たちは影の観測になるので、山の上でOK。 太白暦は谷or山の端or南北に深い入り江のイメージかなぁ、なんて。あぁ、谷は製鉄向きですね。
Commented by lunabura at 2015-11-27 21:37
furutsukiさん、すごく具体的ですね。
荒五郎山だけ位置確認できました。
是非、現地で説明をお願いします♪
また、本記事に書き写しますので、「古月」と書いていいですか?
駄目だったら教えてください。
Commented by furutsuki at 2015-11-28 21:21 x
あっはい。漢字なら「古月」です。
Commented by furutsuki at 2015-11-28 21:47 x
荒五郎山は、底井野往還(古くは古門往還とも云う)の苦ヶ峠のところです。荒五郎山の山頂には、保食神の祠痕 と 右芳山薬師院(真言宗、本尊 薬師如来)があります。保食神は、「葦原中國に保食神あり」として日本書記に一か所だけ出てきますね。
保食神=宇迦之御魂=倉稲魂=(本地仏)薬師如来 でよかったでしょうか。
Commented by lunabura at 2015-11-29 00:11
葦原中国なんですか(驚)
なんだか、ピースがどんどんはまってくるんですね。
Commented by furutsuki at 2015-11-29 20:24 x
今気づきましたが、日本書記の保食神の段、
るなさんがとっくに現代語訳していらしゃいましたね。
http://himeluna.exblog.jp/i24
Commented by furutsuki at 2016-01-14 21:51 x
鞍手入りしていた最中(1/10)に荒五郎山に登ってきました。山頂の保食神の祠はきれいになっていて、木月宮(木月の剣神社)の方を向いていました。今は木々が鬱葱としていて見通しが悪いのですが、もとは360°ビューのたいへん景色のよいところです。ちゃんと手入れすれば奈良の春日山にだって負けてないのにと思いました。見わたす木月宮の東は奇しくも春日といいます。荒五郎山で鹿の足跡をみつけました
Commented by lunabura at 2016-01-14 22:21
荒五郎山は登れるんですね。
見通しが悪いのは残念ですが、重要な所のような気がしてなりません。
Commented by furutsuki at 2016-01-14 22:38 x
東側だけは、今もキレイに見渡せます。
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