2015年 12月 30日
系図途中経過
今日の大掃除は天井などをやったので、
いつもと違う体力を消耗しました(^^;
その合間に、鞍手町誌を読んでます。
六ケ岳上宮の祭祀を始めたのが長田彦(おさだひこ)って
書いてあったので、
町誌に載っているのを思い出したのです。
長田彦は小狭田彦とも書いて、香月氏の始まりの人なんですね。
小狭田彦の孫が神功皇后軍に従軍したので、
何度も読んだ本です。
「磐井の末裔」のことも載っているので、その時も読みました。
でも、あまり理解できていませんでした。
「脇巫女」で土地勘が出来始めたので、急に理解が進んで来ました。
六嶽神社には宇佐宮から辛島禰宜が参詣に来てます\(◎o◎)/!
宇佐との関係が出て来た!
まとめるのに時間が掛かりそうなので、今日は途中経過を。
パソコンを変えたあと、従来、系図を作る時に利用していたソフトが
使えなくなって、いろいろ試みて、ようやく良いものを見つけました。
系図を作っているといろいろと閃きが来るので
時間が掛かっても大切な作業です。
さて、途中の系図です。
小狭田彦を赤で囲みました。福岡県神社誌に書いてあったのが次。
「成務天皇7年、室木の里の里長(さとおさ)の長田彦が神勅を頂いて、
この山上に神籬(ひもろぎ)を営んだ。」
山上が六ケ岳です。
長田彦=小狭田彦です。
ヤマトタケルを先導したそうですよ。
そして、系図の上の方には市杵島姫とか、ニギハヤヒの名が…。(驚)
まるで「脇巫女」の世界そのものです。
町誌には室木に「タタラグチ」という地名があったようにも書かれています。
古墳から出てくるおびただしい鉄製品は地元産らしい!
「ミルザムとシリウス」を「砂鉄と出来上がった鉄」と
みなした部族がいた可能性も出てきました。
鞍手の白山神社が行方不明になったそうですが、
久山町白山神社の場合、ご神体が鉄滓だという事なので、
鞍手にもそのような信仰があった可能性があります。
今から、系図の続きをやります。
以上、今日は、忘れないためのメモでした。
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その内わかる時が来るのかな?
数年前まで記紀もチンプンカンプンでしたけど
るな様今年はお世話になりました、るな様の本に出会えて幸せです
また来年もよろしくお願いします☆
香月氏の系図は香月文書が手に入らないと、完成はしません(´・ω・`)
一般人にはこの「鞍手町誌」が唯一の手掛かりのようです。
でも、必要な情報が沢山書かれています。少しずつ解読したいと思います。
こちらこそ、来年もよろしくお願いします(^^♪
お手数掛けますが、よろしくお願いします。
古い地名で「鍛冶屋」発見
円宗寺(白山権現と関係あり)の裏
白山神社の下あたりと思われる
何かの参考にしてください
ただし、元はもっと山の上のほうにあったそうです
それと、「十六神社」は現在の場所より北西の森の中にあったそうです
「十六神社」が元宮から移動しているとしたら、
祭祀線を引いている方に影響があるので、
もう少し、具体的に教えていただけますか?
よろしくお願いします。
しばしまたれよ~(^^