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ひもろぎ逍遥

脇巫女 27 小狭田彦 香月氏の始まり


脇巫女 27
WAKIMIKO
小狭田彦 香月氏の始まり

 前回、六嶽神社を編集しなおしていて、思いがけない名前に出くわした。
それが「長田彦」だった。

成務天皇7年には、ここ「室木」(むろき)の里長は
「長田彦」(おさだひこ)だったという。
長田彦に神勅があって、山上に神籬を営んだ。

もともと天文観測所だった六嶽神社だが、長田彦の時代に
改めて山頂で祭祀をして神社の形となった ということになる。

長田彦は小狭田彦とも書く。
この小狭田彦が香月(かつき)氏の始まりなのだ。

香月文書の存在は有名だが、現物にはお目に掛かれない。
が、鞍手町誌に一部が載っている。

鞍手町誌から、その系図を復元することにした。
引用の引用ではあるが、書いてみないと始まらない。
後半の磐井の関連は金川文書からの作図だ。




脇巫女 27 小狭田彦 香月氏の始まり_c0222861_2152426.png


「脇巫女」の観点からこれを読もう。
小狭田彦は本名は常盤津彦と言った。
幼少より賢明で、いつも山間の狭い土地を開墾していたから、
小狭田彦と言うようになった。

景行天皇が来て、しばし小狭田彦の居館に留まり、移っていく。

のちにヤマトタケルもやって来て滞在する。
小狭田彦の住まいは香月庄。現在杉守神社の所か。
あるいは寿福寺か。

小狭田彦は娘の常磐津姫を差し出した。

この近くの金剛山に熊襲が住んでいた。
そのクマソとは火国の川上梟師の弟で、江上梟師(たける)と言った。
日本武尊は黒崎より上陸して笹田の小狭田彦とともに黒川を渡り、
熊襲の軍を屠ったという。

杉守社伝に日本武尊が
「あな楽し、花の香り月清きところかな。
今よりこの地を香月のむらと名づくべし」
と名を賜ったのはこの時だろうか。
小狭田彦は香月氏となった。

梅の花が香る初春。
月が明るい夜の宴に褒賞として名を授けたのだろうか。

ヤマトタケルは剣神社に寄り、鞍手に上陸した。

これを迎えたのは中山(八剣神社)の今朝麿で、
彼は百枝(ももえ)の賢木(さかき)を飾って迎え入れ、
筑紫の情勢を伝えて喜ばれたという。

そして次なる敵、川上タケルの逃げ込んだ佐賀の真手山へ。(これは先述)
これを先導したのも小狭田彦だった。

帰路には今朝麿は行宮を作ってヤマトタケルを守護した。

そして、常磐津姫には男子が生まれた。
その名を御剣王という。
御剣王は成長すると父の東征に従って行った。
駿河の焼津では特に軍功があり、祖父の景行天皇から武部臣の賞を賜る。

しかし、ヤマトタケルは亡くなった。

御剣王は帰国ののち、とにかく父が慕わしいと言って、
尺ノ岳と新北に父尊を祀ったという。

そして、さらにその子の種日子王も父に劣らぬ武勇の人で、
神功皇后に従って三韓征伐に向かった。
種日子王は帰国後、弟や子供たちに系図のように
各地を治めさせた。

暗崎(黒崎)、高羽(田川)、聞(企救)、穂波、
舞岳(尺岳)、新北、室木、嘉麻碓井。
これが当時の香月氏の勢力図だ。
物部氏の名が見える。
香月氏は物部氏だった。

この間、いつのことか、小狭田彦は室木の里長となった。
家督を子供に譲ったあとかもしれない。

そして、冒頭にあるように神託を受けて六ケ岳山頂に
神籬を作って祭祀をした。

「クマソの力を恐れた「朝廷」は「もののべ」を操り、
クマソを騙し打ちにする」
という星読の託宣。
操られた「もののべ」が小狭田彦なのか。



町誌では、「鋳口」(たたらぐち)という地名が室木にあることから、
製鉄が行われていただろうと推定している。

六ケ岳の麓には木花咲耶姫が祀られている事を七色から聞いた。
そこもまた、製鉄の地だろうと睨んでいる。

これが鞍手の物語だ。

小狭田彦の祖を見ると饒速日が見えることから物部氏と思われるが、
一方で田道命も祖だということから、皇家の筋ともなる。
ここが、断片的で系図が書けなかったところだ。


さて、これまで「月守の民」の情報がなかった。
系図を見ながら解釈を考えていた。
香月氏は月守の民だろうかと。

系図から見るとイチキシマ姫の流れとも言える。
そうすると、星読みの民の流れでもある。

「星読みの民」が追われたとき、「月守の民」も追われた。
最初想像したのは、遠賀川の対岸に逃げたのではないかと。

「月守」は「香月」の名を賜り、生き延びたのではないかと。

しかし、田道命が祖となると香月氏は朝廷方となる。
封印した方になるのだ。

星読によると、「月守の民」はセオリツ姫の正統な血筋で、
その中で一番力のある巫女が「星読みの民」に迎えられて
「星読みの姫神」となったという。
それがイチキシマ姫だ。
「月守の民」の男子は「星読みを守るもの」となった。

行き詰った時、七色から電話が入った。
芦屋の金台寺にいるという。
そこに麻生氏や香月氏の手掛かりがあると知って私に連絡をしてきたのだ。


小狭田彦の本質はニギハヤヒか田道命か。
あるいはイチキシマ姫の祖「月守の民」か。

相反する系図。
いや、融合の系図と考えてもいいのかもしれない。


鞍手には「月」がつく地名が目立つ。
「古月」(ふるつき)「木月」(きつき)

「月守の民」の痕跡は鞍手郡の「月」の地に見られるのではないか。
「月守の民」は低い地から月の観測をしていたという。

鞍手町誌は
「縄文時代の末頃にはすでに新延、木月、小牧、猪倉の貝塚の近辺に
住んでいた部族の族長が、それぞれの地区を支配していただろう」
と述べている。

木月の中心の剣神社はヤマトタケルの旧跡であり、
それを慕って仲哀天皇や神功皇后が戦勝祈願をした宮だ。
(拙著『神功皇后伝承を歩く』上巻17

「月守の民」は「香月」と名が変えられて封印され、
「月守の民」がかつては居た所を「古月」と呼んだ。

「星読みの民」の姫神となったイチキシマ姫。
その伝令者であった物述。
イチキシマ姫が血を流したあと、物述はその姫の子と結ばれて、
その地位を奪った。

そんなストーリーに対して星読の感覚はどうあるだろうか。
意見が聞きたい所だ。


2016年1月2日





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Commented at 2016-01-03 15:55 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented at 2016-01-03 21:59 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by 星読 at 2016-01-03 22:17 x
みなさん、謹賀新年です。
ちょこっと遅くなりましたが・・・今年もよろしくです

ルナさん、別便で「感じたまま」をメールしました
読んでください

どうしても頭から離れません
Commented by lunabura at 2016-01-03 22:40
Kさん、貴重な情報をありがとうございます。
編集して本記事にUPすることもあろうかと思います。
よろしくお願いします。
Commented by lunabura at 2016-01-03 22:44
星読さん、ついに出ましたね。
なるほど、鎮めですね。
本来、香月氏が三女神を祀ることはできないことですものね。
Commented by 星読 at 2016-01-04 00:12 x
いつものように、イメージですが・・・

話は変わりますが、今度、地元の方々と「室木・長谷」を廻ります
日時が決まれば連絡します
Commented by K at 2016-01-04 00:48 x
こんばんは。ご返信ありがとうございました。
少しでも役に立つ話だったのでしたら嬉しい限りです。

もう少しつらつらと、関連情報らしきものを書き記しますと。
新入剣神社=妙見というのはいくつかの状況証拠からの推測です。
まず、剣。で、鎮座地名が「亀丘」で御神紋にも「亀」。
また社伝では直方多賀神社はこちらの御分霊ですが、ご存知多賀神社といえば元は妙見さんです。
妙見さんの本地仏といえば十一面観音。同じ六ヶ岳山麓で長谷観音の近くにも妙見宮がありますが、誠に興味深いことに神仏習合の形で祭祀され神道側では「加々背男命」としています。加々背男命といえば星の神ですね。
Commented by lunabura at 2016-01-04 18:31
Kさん、こうやって少しずつ教えていただくとありがたいです。
先日書かれていたアドレスは残念ながらアクセスできませんでした。

直方多賀神社は新入剣神社からの分霊ということですね。
驚く話ばかりです。^^
Commented at 2016-01-07 08:17 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by lunabura at 2016-01-07 22:16
非公開さん、日時を消したら入れました♪
やはり、ニギハヤヒと市杵島姫は夫婦ですか。

亀甲は熱田神社の北西にも聖地として存在しているので、
それと関連があるかもしれませんね。
by lunabura | 2016-01-02 21:54 | 「脇巫女」 | Comments(10)

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