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ひもろぎ逍遥

脇巫女 30聖なる幾何学模様の断絶


脇巫女 30
WAKIMIKO

聖なる幾何学模様の断絶


鞍手を中心として描かれている聖なる幾何学模様の発見は
ほんの数日前のことだ。
まだまだ色んなラインがあるのを古月が発見しつつある。

そして、全体像が見えてくるにつれ、
いったん大地に描かれた聖なるラインが断絶し、
もう一度、描き直された形跡を見つけたという。
それは古代に地震が起こり、断層が生じたためだろうと古月は考えた。

それが顕著にみられる部分が十六神社の付近だそうだ。
星読が十六神社は移動していると言ったが、
それが断層のための書き換えの痕跡という可能性も出て来た。

この断層は現代でも知られていない未知の断層だという。

それが起こったのは縄文か弥生か、
何か時代が特定できる情報がないか、古月からメールが入った。



地震で思い起こすのは、
まずは西暦200年の神功皇后の三韓征討の時の地震だ。
すでに何度か書いて繰り返しになるが、
倭国の船団が新羅に着いた時、地震が起こり、
新羅国の半ばまで津波が到達した。
このおかげで戦わずして勝利したのだが、
その勝利のシンボルが干珠満珠なのだ。

地震雲の存在を世に出した真鍋大覚は、
その時の震源地を新羅の慶州付近とする。
今、その浜辺は原発がずらりと軒を並べている。

志賀海神社がその頃、沖津宮辺りから現在地に遷宮したのは謎なのだが、
その津波が日本にも押し寄せたので、
元宮が壊滅状態になったのではないかと考えている。
そのために博多湾側に遷宮したのだろうと。
しかし、そこでも津波に遭って、現在の高地に移動したという話は地元で聞いた。



さて、次に思い出すのは宗像市の陸と大島が海で隔てられたという話だ。
これも真鍋が書いているのだが、どうしても受け入れられなかった。

ところが、チェリーさんの示した西山断層の延長線上に大島があるのを知って、
その可能性があったことをようやく理解した。

大島には宗像大社の仲津宮がある。
陸と島の間はクララの瀬戸という。

玄界灘自体が一年に一センチ近く水位が上昇していて、
筑紫の漁師はかつての谷が瀬に変わった時代をよく記憶していたそうだ。

そして、陸が海に沈むと、その春、深夜に天頂に達した星の名を瀬戸につけたという。
大島が島になった時の星は倶楽羅星(くららのほし)だった。
そうして、瀬戸の名は倉良瀬戸となった。
明治22年(1889)の測量では15・0mの深さがあったという。

倉良瀬戸が出来たのは雄略帝9年(465)である。

宗像の神の二柱の間が潮で分けられてしまった大事は
『日本書紀』に粉飾されて次のように創作されたのではないかと真鍋は言う。

<雄略紀九年(465)の条
春二月の甲子(きのえね)の朔に、
凡河内直香賜(おほしかうちのあたひかたぶ)と采女(うねめ)を
遣わして胸方(むなかた)の神を祀らせた。
3月に天皇はみずから新羅を討とうと思っていた。
神は天皇を戒めて「行ってはならぬ」と言われた。
天皇はこれを聞いて行かなかった。>

天平の頃までは、その背景に陸の陥没があったことを
人々は分かっていたという。

倉良の語源はギリシア語の渓谷という意味のキラダであろうと真鍋は言う。
神湊(こうのみなと)ではこのころから百済と往来するようになった。

それから八年後、473年、今度は針摺の瀬戸がふさがってしまった。
このために博多湾から筑後川へ舟で行くことが容易でなくなった。

この五世紀後半という古墳時代、筑紫の船運は大変化を余儀なくされた。

宗像の沈んでしまった瀬戸を見つめるのが鐘の岬の織幡神社である。
ここは武内宿禰が沓を残して昇天したという縁起を伝えるが、
それは異敵から我が国を守るためだった。

しかし、先年、宗像で講演したあと、皆で参拝しに行ったのだが、
パラさんが、ここは地震や天変地異からも守っている
と言ったのを今でも覚えている。

その時はそのような問題意識が無かったのだが、
まさに目の前の海が沈むのを祭神は見届けたことになる。


天武天皇7年12月(679年)には筑紫大地震が起こっている。
この時は耳納連山が大断層を生じ、高良山の一部が崩落した。
この6年後に南海トラフ地震が起きたという。

このことと、星読の託宣とを考え合わせると、
イチキシマ姫が沖ノ島に封印されたあと、
六ケ岳では大災害があっため、人々はイチキシマ姫の祟りだと畏れ、
神の怒りを鎮めるために聖なる幾何学模様を描いて結界を施した。

ところが、次には西山断層が動く大地震が起こり、
大島の前の海が陥没し、六ケ岳周囲も断層が生じた。

またもやイチキシマ姫の祟りだと畏れ、
人々は断層によってずれた結界をもう一度作り直した。

そんなストーリーが出来る。

古月は結界のラインが3本あるという。
もう一度、大災害があったのだろう。

それほど、イチキシマ姫の怒りは畏れられた。
これが前回の託宣の末尾
「六ケ岳に屈する」
という意味かもしれない。



倉良瀬戸







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by lunabura | 2016-01-07 20:45 | 「脇巫女」 | Comments(0)

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