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ひもろぎ逍遥

脇巫女50 古代の鉄に思うこと


脇巫女50

古代の鉄に思うこと


古代の鞍手に物部たちが入植した目的は黒玉にあったというが、
それがどんな鉱物か、いろんなアドバイスをいただいた。

崋山から
「色々な鉱物を混ぜ合わせ最終的に黒くなったものの感じです。
私が見たものは黒くて艶があり、ラメみたいなヒカリモノが所々散らばって、
その大きさは様々。」
とコメントがあったことから、鉄鉱石ではないかと考えた。

古代日本で鉄鉱石を製錬した可能性は、考古学では決して認められないだろう。
隕鉄もスズ鉄の話も受け入れられない、というか話題にも上らない。

ただ、多くの人は学校で青銅器時代の後に鉄器時代が来たと習ったために
それが刷り込みになっているが、
日本に入って来た時には青銅器と鉄器はほぼ同時だったというのが
今の定説となっている。

鉄の武器は紀元前一世紀頃に入って来ていて、あっという間に広がったようだが、
それ以前に入って来た鉄製品は日用品だったのだろう。

例えば、高度な青銅の剣や鏡があるいはガラス製品が造られる時、
それを扱う道具に木の枝の棒のイラストとかを見かけるが、考えられない。

燃えるし、折れて落としてしまったら終わりだ。

紀元200年頃の平原遺跡の溝には鉄の斧や小刀、砥石などが奉納されている。

さらにそれより300年前の三雲南小路遺跡の溝には
水銀朱のついた杵が出土し、それを使った祭祀の痕跡が指摘されている。

これらを精製するための道具は鉄や銅だったのだと考えた方がよいのではないか。

砂鉄の精錬に関しては弥生時代に熊本では既に行われているが、全く無視されている。

以上、私は素人ではあるが、これまで各地で見聞したことのメモとして残しておこう。

そして、今日はテーブルを片づけていたら、
テレビを見ながらメモした紙が出て来た。何というタイミングだ。

アナトリア BC2300年 鉄
ヒッタイト BC15世紀 隕鉄
カマン・カレホユック遺跡 4200年前 鉄鉱石 鋳型

と書いていた。

アイスマン 紀元前3300年頃 99・7%の純銅の斧

古代社会の鉱物の製錬技術の高度さに関しては
もっと謙虚に知ろうとして良いだろう。

その技術が一部、日本に入って来て、絶えたことも考えてよいのではないか。

あまりに特殊技術なため、技術者が一酸化中毒などでやられたら、
もう次世代には残らない。

榊で祓う動作は、その毒ガスを払う所作の名残だということを真鍋は書いている。

現代人は自分が知らないと、すぐ否定しようとする傾向が強いことをよく感じる。
日本の古代鉄に関しては、まだ研究さえ始まっていないように思えるこの頃である。





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Commented by tukifune83 at 2016-03-17 23:15
こんばんわ!
来ましたね!鉄話!!
地域的に見て、燃やす燃料も原材料も地域特性も鞍手地方は(直鞍)とても適していると思います。
勿論、現在の様に機材が無い時代の話なので、想像ですが。
銀千代的には鞍手は鋳物を作っていたのでは…と思っています。
Commented by lunabura at 2016-03-17 23:58
そうそう。
石炭の組み合わせも、この地の特色ですね。
鋳物も有りですね。

少しずつ教えでください^^
Commented by ぱら at 2016-03-19 00:00 x
るなさんこんばんわ( ´ ▽ ` )ノ

色々な言葉のピースが浮かび上がってはジグゾーパズルのように組み立てられるのを待っているようです。
大陸と海からの人の移動と稲と鉄。自然共生の仕組み。天津神と国津神 天孫族と出雲族 断層のエネルギーの歪みのある所に素戔嗚の神社があるのは何故?稲のために鉄が必要なのは農耕の道具だから?マグマと花崗岩と鉄 水と磐座と神籬 橅と杉と檜 もう少し読み解いて検証を重ねて見ます。
人が生きて泣いて笑って命を育み代をつなげ沢山の人の日々の積み重ねの一番最後に自分がいる。光は既にもうそこにあった。
かんながら たまちはえませ。
Commented by lunabura at 2016-03-19 20:36
壮大な命の流れの中に、私たちの営みがあるということなのですね。
不思議な流れのままに、生きていきましょう。
by lunabura | 2016-03-17 22:34 | 「脇巫女」 | Comments(4)

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