2016年 05月 10日
磐瀬行宮あと
磐瀬行宮あと

磐瀬行宮跡は福岡県中間市、JR中間駅のすぐ近くにある。
駐車場がないとの情報があったので、
車中で待ってくれるパートナーが休みの日を待って訪れた。
史料通り、駅のすぐそばだ。
JRが削ったというので、本来はまだ広い小山だったのだろう。
この山を御館山(みたてやま)という。
史跡案内板はない。

立派な石段が付いていてほっとしたが、
すぐに草ぼうぼうとなり、女一人ではどうかと、考えた。
しかし、夏野菜が見え、男性が手入れをしている姿が見えたので、
安心して上った。

一面、畑だ。
私は間違ったのだろうか。
ここは史跡ではないのか。
男性に尋ねると、
「だれか天皇がここに立ち寄られたという話は聞きましたよ」
ということだった。
「斉明天皇ですね。石碑とかないのでしょうか」
「向こうの方に、祠の跡と祠の一部がありますよ」

と案内されて見たのがこれ。

この石の台の上には祠があったという。
「のり面の所有者は市です。道路を作る時に削られました。
この場所自体は地番がないのです。
祠は神社の方に行ったと聞きます。
昔、ここは公園だったのですが、誰も来なくなって荒れて来たので、
一組の夫婦が桜を植えたり、いろいろ植えたりして、
畑を作るようになったのです。
それを受け継いでいます」
確かに、笹竹があちこちから出てきている。
もし、畑がなかったら、足を踏み入れることも出来なかっただろう。
一体どうなっているのだろうか。

一つだけ、昭和13年の石碑があったが、
奉納した氏名だけが見えていて、内容が分からない。
ここが、『日本書紀』にも書かれた磐瀬行宮なのだ。
中間市に入ると岩瀬の字があちこちに見える。
また、長津の地名もある。
『日本書紀』では磐瀬行宮を長津宮と名称変更したとあり、
当地でも、明治時代になって、それにちなんで長津の地名も使うようになったらしい。
市に問い合わせると、史跡に指定する予定はなく、
説明版も立てる予定はないとこのことだった。
市の観光マップにも載っていない。
ここもいつか消失してしまうかもしれない。
磐瀬行宮 御館山 中間市
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