2016年 05月 26日
十握剣と天叢雲剣の行方
十握剣と天叢雲剣の行方
今回は、歴史カフェ「七支刀」に来られる方への予習編です。
(^^♪
歴史カフェでは「七支刀」の環境についてお話しするのですが、
ブログでは触れたことのない内容で、
初めて話す話ばかりなので、聞いていて頭の中が混乱するかも、です。
そこで、今日は、理解するための下地として、
「十握剣と天叢雲剣の違い」と、
「その行方」について予習をしておくことにしました。
参加される方、一応頭の中に入れておいでくださいね。
覚えなくていいです。
そんな感じかあ、とでも思っていただければ。
カフェに参加できない方も、楽しんでください。
十握剣と天叢雲剣
素戔嗚命(すさのお)が八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治しました。
この時、素戔嗚命が持っていたのが「十握剣」(とつか)です。
そして、八岐大蛇のしっぽから取り出したのが、
「天叢雲剣」(あめのむらくも)です。
天叢雲剣
素戔嗚命は天叢雲剣を天照大神に持って行きます。
天照大神はニニギの命が降臨する時、その剣を手渡しました。
そののち、天叢雲剣は天照大神を伊勢神宮に祀った倭姫(やまとひめ)から
甥のヤマトタケルに渡されます。
ヤマトタケルは敵に火を放たれた時、その剣で草を薙ぎ払ったので、
その剣は「草薙剣」と呼ばれるようになりました。
ヤマトタケルはその剣を宮簀媛(みやずひめ)に預けます。
そして、ヤマトタケルが戦死したのち、
宮簀媛は熱田神宮を建てて草薙剣を祀りました。
それから数百年後。
天智天皇7年(668年)に新羅僧の道行がその剣を盗み出しました。
その剣は鞍手の古物神社に降ってきました。
そこで古物神社に大切に祀られました。
それから、福岡県岡垣町の高倉神社に届けられました。
高倉神社では草薙剣の七口のコピーが作られ、七つの神社に配られました。
八つの神社は八剣神社と呼ばれるようになりました。
十握剣
一方、素戔嗚命が持っていた十握剣は、天照大神とのウケヒの時、
天照大神が三つに折って噛み砕きました。
その息吹から三女神が生まれました。
その三女神の降臨の地は鞍手の六ケ岳。
あるいは水沼族の祀る久留米の赤司八幡神社とも言われています。
『日本書紀』には「三女神は水沼の祀る神」という話も載せています。
以上、予習でした^^
『神功皇后伝承を歩く』を持っている方は、
11 高倉神社
17 剣神社
18 古物神社
56 赤司八幡神社
を読んでみてください。
さらに楽しめると思います。(^^♪
いつもポチっと応援ありがとう。
にほんブログ村