2016年 05月 31日
歴史カフェ626「磐井の乱の後」
歴史カフェ626
「磐井の乱の後」
「筑紫君磐井」は『日本書紀』には「国造」と書かれているが、
『古事記』には「竺紫君」と書かれている。
『日本書紀』では磐井の乱は継体天皇との戦いのように書かれているが
『古事記』では継体天皇は戦いの前に死んでいる。
このように多くの矛盾を抱えている記紀では、実態を描くには限度がある。
筑紫の各地の伝承はどうだろうか。
それらを総合してみると、次のような世界が描き出された。
磐井君は久留米市の高良山と明星山に居城を構えていた。
磐井君の死後、その末裔たちは筑前と豊前で同時多発的に一斉蜂起したが、
またもや敗北。
磐井君の夫人は幼子を連れて現・福津市へ逃れた。
葛子の夫人は福津市で何者かに暗殺された。
しかし、葛子の子である鞍橋君は百済と共闘して新羅と戦った。
そして、同様に葛子の子である勝村・勝頼は宮地嶽を守った。
福津市では磐井の菩提寺が作られ、宮地嶽には巨大な古墳が作られた。
勝村・勝頼が眠る宮地嶽古墳から出土した鉛ガラスは何を語るか。
古墳内で舞われた筑紫舞にはもう一人の証言者がいた。
そして、昨年。
ついに舞われた秘舞は宮地嶽神社が安曇族であったこと示した。
これら、各地の神社縁起や寺の縁起を通して
磐井の乱の後の子供や孫たちが「磐井の乱の後」にどうなったかを描く。
これは久留米大学の公開講座で話した内容ですが、
今回はパワーポイントを使わずに資料を使ってお話しします。
出版予定の「宮地嶽神社と磐井の末裔たち」(仮題)
の内容の一部を先行して話すものです。
拙著『神功皇后伝承を歩く』下巻 69番宮地嶽神社
日時 6月26日(日)2時~4時
会費 1500円 (別途、ドリンクを各自でご注文ください)
(会費は当日、受け付けにて)
募集人員 18名(要予約)
会場 オーガニック広場 ひふみ
福岡県古賀市天神1丁目2-3
(JR古賀駅前) 駐車場はありません。
092-944-5755
申し込み方法
「歴史カフェ626希望」と書いて、郵便番号 住所 氏名 をご記入の上、メールでコチラに送ってください。
(コメントでハンドルネームを使われた方、よかったらそれもご記入くださいね♪)
メールはサイドバーの「メールはコチラ」からでも大丈夫です。
一度参加された方は、住所は書かなくても結構です。
申し込みがあれば必ず返信しております。
返信が無い場合はブロック解除、あるいは「アドレス違い』がないか、
調査をお願いします。
オーガニックな食材のお買い物が出来ます。(^-^)
地図 オーガニックひろば ひふみ
皆さんのご参加をお待ちしています♪
いつもポチっと応援ありがとう。
にほんブログ村