2016年 06月 23日
磯良の最期
ことのかたり
磯良の最期
海で鍛えた、たくましい肉体を持った磯良さまも、
最期は足が弱られたのでしょう、
再び大善寺に来られた時には御輿に乗っておられました。
すでに、ここを死地とする覚悟を決めておられたようでした。
三韓から戻って留め置かれたままの御座船の覆いを取るように命ぜられると、
棚や道具を一つ一つご覧になり、
そのあと、竜骨を除いてすべてを燃やすように命じられました。
棚は、神功皇后が志賀島で命じられて作った棚でございます。
皇后さまは朝な夕な、その棚に供え物を置いて神々に祈られたと聞きます。
磯良さまは、一時期は戦いに船団を出すことをためらうようになられたのですが、
皇后さまの祈りの姿に心打たれ、
その船の舵取りをすることを決意されたと聞きました。
奈多(なた)の浜で八乙女が七日七晩、磯良さまを前にして
豊玉姫さまたちのために神楽を舞った時の華やかさは
今でも聞き伝えております。
竜骨だけは、ご神体としてお祀りするように命じられました。
御座船の跡には、朝妻を勧請されました。
あさづまとは、味水御井神社のことでございます。
かつては朝妻七社といって、
神功皇后を始めとする七柱の神が祀られていたのです。
すべてを采配されると、磯良さまは静かに息を引き取られました。
その墓所は高三潴(たかみづま)にございます。
石の棺に剣を二振り置いて、埋葬されました。
磯良さまの名前はシリウスという意味です。
夜空で一番明るく、真っ白に輝いて、航海の民を導く星のことです。
私どもは、その御墓に参る時、牡蠣殻を持っていっては、
封土に置きました。
そう、夜空にシリウスが輝くように、
牡蠣殻で磯良さまの墓を白く輝かせたかったのです。
高良玉垂宮神秘書 534条 536条
『神功皇后伝承を歩く』下巻78 大善寺玉垂宮
他の物語はコチラ<ことのかたり>に置いています。
http://lunabura.exblog.jp/i235/
いつもポチっと応援ありがとう。
にほんブログ村