2016年 07月 08日
昨日
昨日の神功皇后のお話は
豊浦宮から香椎宮への遷宮の経路をたどりました。
初めて筑紫入りする仲哀天皇と神功皇后を支えた筑紫や豊の豪族たち、
あるいは古代の機織りや、金と水銀など、時代背景を織り交ぜました。
福岡県人は、地元の神功皇后の伝承の多さに、謎を抱えてしまうんですね。
どうして、こんなに神功皇后の話が多いのだろうか、
どうして、行く神社、行く神社、神功皇后が祀られているのだろうか、と。
これは福岡県特有の現象なんです。
ですから、その道筋が見えると、
「そうだったのか」と得心がいく人も多いようです。
「歴史と自然をまもる会」では
拙著『神功皇后伝承を歩く』の百社を25社ずつ、四回にわたって
話すことになろうかと思っています。
この百社を回りたいという話も時々いただいているので、
何らかの形になればいいなとも思っています。
成る時には成るのでしょうね。
今日は頭を休めて過ごしました。
静と動、動と静。
上手くバランスを取りながら、次の課題に取り掛かろうと思います。
<連絡>
7月8日朝9:59 に歴史カフェの申し込みをされたAFさま、
返信が戻ってきます。
アドレスが違っているようです。ご確認願えますか?
また、希望されているのが「721か724か」、お知らせくださいませ。
ご連絡お待ちしています。
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言い方がおかしいかもしれませんが、神功皇后を辿って行くと、
神社に人間味を感じ、親しみがわきます。
戦いや生産や祈りの拠点だった神社は、
人間の営み、生、死、すべてをいとおしく感じさせてくれます。
それがずーっとずーっと繋がっているのを見守ってきてくれたんだなぁと。
とりとめなくてすみません。
コメントありがとうございます。
確かに、100社巡ってみると、
神社に対する考えがすっかり変わりました。
宮と杜を守り伝えてくださる方々に思いを馳せるようになりました。
そして、祀られる神々についても。