2016年 07月 09日
奈多の浜 玉垂たまたれ
玉垂
たまたれ
福岡市の東区、海の中道の東に奈多の浜がある。
神功皇后はここで軍議を開かれたという。
ここはかつて和白(わじろ)の一部だった。
安曇族の拠点だ。
皇后はここを水軍の本拠地とされた。
ここに祀られている三良天神(さぶろうてんじん)は荒ぶる神。
火明(ホアカリ)神、火酢芹(ホスセリ)神、豊玉姫神。
皇后は七日七晩神楽を奉納された。
そこでここを神楽岸、躍坂(おどりざか)と呼ぶようになった。
久留米市の高良玉垂宮はこの様子を縁起に描いている。
金の亀に乗った安曇磯良は鞨鼓を胸に下げて踊りながらやって来る。
磯良に向かって舞うのは八乙女たち。
ここで干珠満珠の秘法が授けられた。
左上、豊姫が武内宿禰に干珠満珠を手渡している。
海神豊玉彦の姫神・豊玉姫が荒ぶる神となってしまったのは、
子を育てられなかったからだろう。
泣く泣く帰る綿津見の宮は対馬にある。
手放した子の名前はウガヤフキアエズ。
自分の代わりに妹の玉依姫が我が子を育ててくれた。
そして後に 二人は夫婦となる。
母系制の名残と思う。
二人には子供がたくさん生まれ、その一人が神武天皇となった。
神功皇后はその末裔だから、豊玉姫の哀しみを深く受け止めたはずだ。
連れていた八乙女たちを海神に捧げた。
七日七晩、奏上された神楽。
その誠意を受けて、同様に豊玉彦の神裔たる安曇磯良は
干珠満珠の秘法を神功皇后に渡す。
神楽では海神が豊姫に渡している。
豊姫は武内宿禰にそれを渡した。
豊姫は神功皇后の妹だが、武内宿禰の妻となっていた。
この物語の現場からは相島(あいのしま)が見える。
豊玉姫と山幸彦はその島で出会った。
対馬を拠点とする豊玉彦と豊玉姫と玉依姫の出屋敷があったと考える。
ここは安曇の消された物語の舞台。
玉垂の浜。たまたれ。
奈多の浜。
和布刈神事の舞台でもある。
『日本書紀』も『古事記』もこの物語を消し去った。
しかし、こうして物語は蘇った。
『神功皇后伝承を歩く』下巻72志式神社
上巻26 高良玉垂宮
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