2016年 07月 26日
賀茂神社(3)八咫烏
賀茂神社(3)
八咫烏
神殿の裏に廻ると絶壁になっていて、
その真下では急な流れが飛沫を見せていた。

水だ。
水こそ冶金の民に必要なものだった。
急斜面にある参道は川から吹き上げる季節風の道でもあったのだろう。
ここで賀茂の民は汗を流して金属を作り出した。
地形から確信した。
真鍋によると、賀茂の神は蹈鞴の名人だったという。
高温の火を見つめる時、片目で見ていた。
それが一目(ひとつまなこ)の神と呼ばれるゆえんだった。
彼らは八咫烏を伴としていた。
八咫烏とはカササギの一種で、
それを見ては干潟の冠水のようすを観察していたという。
のちに八咫烏が賀茂氏のトーテムとなり、
「八咫烏といえば賀茂氏だ」という共通認識が出来たということになる。
日本書紀の時代は「八咫烏」といえば賀茂氏を暗示し、
「海童」(わたつみ)といえば滅びた安曇族を指すのを
共通の認識としていたのだ。
八咫烏は鉱山を渡り歩き、奥深い山の道を知っていた。
だから、神武天皇が霧に迷って困っていたとき、山道を道案内したのだ。
そこで出くわしたのは、光る井戸から出てくる尾がある人、
岩を押し分けて出てくる尾がある人たちだった。
井戸も押し分ける岩も、坑道があったことを暗示している。
尾がある人。
鬼のパンツは虎の皮でできているが、鬼と呼ばれた鉱山従事者たちは
獣の皮を腰に巻いてどこでも座れるようにしていたのだろう。

山伏もまた然り。

ツタンカーメンもまた尾のついた皮を纏っていた。
・・・しっぽがあるほうが個人的には好きだ(´・ω・`)
「鬼」という言葉は、当時は「神」と同じ意味だった。
「卑弥呼が仕えていた鬼道」という例があるように。

賀茂神社の長い参道を下っていくと「七ツ枝川」の標柱があった。
東京から来ていたMさんからの知らせでは
地元の人に、「七山の七は北斗七星だ」と教わったそうだ。
そうか。
七支刀が物部氏の神社にあり、雷神の神力を仰ぐもので、
そのデザインの元が目に薬効のあるヒカゲノカズラだと分かったが、
何故七つの枝なのか、理由が見つかっていなかった。
これが答えではないか。
七支刀は北斗七星の精霊もまた宿す物だったのだ。
北斗七星は横になると「一目」となり、
縦になると「足一騰」となる。
まさしく賀茂氏の姿そのものだ。
物部氏と賀茂氏の深いつながりをここに見た思いがした。
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童謡の「鬼~のパンツは、いいパンツ~強いぞ~つよいぞ~♪」
というフレーズを思い出したのは、私だけでしょうか^^:
私もその歌流れましたー。(笑)それと、尻尾付き♡多分、縄文人だったら私も間違いなく尻尾付きのにします!(≧▽≦)