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ひもろぎ逍遥

加茂神社(2)七郎大明神



加茂神社(2)


七郎大明神


それぞれ名前の違う複数の鳥居の中に、「七郎大明神」というものがあった。


加茂神社(2)七郎大明神_c0222861_23244511.jpg



「佐賀県神社誌要」を見てみると、七山では見当たらなかったが、
小城郡西多久村大字板屋の「七郎神社」の縁起が載っていた。

その祭神は「稚武王尊、海童神」となっていた。
仲哀天皇の弟王とワタツミの神だ。

「七郎」とは稚武王を指すのだろう。

縁起の一部を引用する。

当社は神功皇后三韓征伐の際、
武将として渡海せられたる、仲哀天皇の弟・稚武王が、
凱旋後、三韓守護の為、平戸に宮居し、
ついに同所に薨せらるるにおよび、
その霊を勧請して、志々伎神社と号し奉祀せしが、
その後、西多久村の頭領二人例夢に感じて平戸に至り、
神霊を奉して帰村し、社殿を建立して勧請せり。(略)(一部変更)

稚武王(わかたけ)は仲哀天皇の実弟で、武将だったが、
三韓征伐の帰国途中、
警護の名目で平戸島に降ろされて、そこで亡くなっている。
その霊を祀るのが志々伎神社(ししき)だ。

警護の名目ながら軍隊は付けられなかったという。
島流しだった。
島から出ることなく亡くなった稚武王は哀しみの王だったのだ。

王が平戸に降ろされたのは、王に皇位継承権があったからだろう。

王の父親は日本武尊だった。
崩御したばかりの仲哀天皇と同じ父親だ。
次の天皇に一番近い位置にいた。

天皇の崩御は隠されたが、
姿を見せない天皇に、崩御の噂は絶えなかっただろう。

神功皇后は懐妊した。
皇后に男子が生まれれば問題が生じることは目に見えていた。

天皇崩御後、その代わりに国内戦を連戦連勝した皇后の人気は絶頂に達し、
皇后を旗頭とする体制が整ってしまっていたこの時期に
稚武王の存在は取り巻きの実力者たちには目障りだったに違いない。

三韓から戻って来た皇后の軍船は有明海経由で風浪宮に姿を現す。
長崎まわりで遠回りしながらの帰国だ。

その船団に乗っていた稚武王はきっと突然降ろされたのだろう。
何が起こったのか、分からないまま、船は遠ざかって行った。

どれほど無念だったか。

それから何百年経ったのかは分からないが、
多久村の二人の頭領の夢に稚武王が出て来た。

頭領たちは平戸に行って、稚武王の神霊を勧請して村に祀った。


七郎神社には海童(わたつみ)神も一緒に祀られていることから、
西多久村には安曇族がいたと考えられる。

海の中道にある志式神社にも稚武王が祀られているが、
同じ背景だと推定している。




加茂神社(2)七郎大明神_c0222861_23255314.jpg



さて、この話から、加茂神社に合祀された七郎大明神とは
稚武王だろうと推測した。

もうそんな話を覚えている人もいないのだろうが、
こうして思いを馳せる人間が平成にいるのも、
悪いことじゃないだろう。

そう。
このブログの読者もまた、こうしてその哀しみを知った。



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Commented by tukifune83 at 2016-08-02 00:15
打ち捨てられた者の無念の思い。そうしなければ我が身、我が子を守る事が出来ないという思い。そのどちらの思いもその時代に必死に生きていた証として誰かが受け止めて、こうやって誰かが語り継いで来たのでしょうね。
るなさんのお陰で私も子供らに聞かせてあげる事が出来ます。ありがとうございます。(^_^)

by 水月

Commented by lunabura at 2016-08-02 22:27
そうですね。
それぞれの生きざまがあり、
それを客観的に見ることができるのも、
1800年もの歳月があればこそですね。
未来につなぎたいものです。
Commented by まーりん at 2016-08-02 23:03 x
暑くて体調がいまいちだったので、きょうはネットで久留米地名研究会の「ひぼろぎ逍遥」の奥宮サイトにでかけてみました。
そこで目に留まったのは志々岐(シジキ)について。
そして今日のこの、るなさん記事です。

わたしはこのところ賀茂氏にフォーカスしているつもりだったのですが、シシキを一日に2度も目にするというシンクロ。(明日の明け方は獅子座の新月ですが、獅子ではないのかしら)
賀茂と志々岐/志々伎・・・ どんな意味があるのか
気になったり、謎を解いてくれる方がいるかも~と期待して、お知らせします(笑)
Commented by まーりん at 2016-08-03 00:04 x
追伸です
ひとつ、ピンとくるものがありました。
<シシキのことを表に出すのは(時期が)適っている>

るなさんが今日こうして語っていること

それが正しく時流に適っているという意味と思います。
Commented by lunabura at 2016-08-03 21:47
まーりんさん、こんばんは。
共時性には、それぞれ解かれることを待つ謎があるのかもしれませんね。
こうして、ブログで公開するのも、何かの計らいがあるのかもしれません。
by lunabura | 2016-08-01 23:27 | (カ行)神社 | Comments(5)

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