2016年 08月 26日
筑紫三宅連得許(とくこ)という人
ことのかたり
筑紫三宅連得許(とくこ)という人
今日は中大兄皇子の年表を作ってました。
中大兄皇子は白村江の戦いのあと、即位する前に、
みやま市(旧山門郡)に来ているんですね。
母帝が朝倉で亡くなった時、皇子は37歳。
白村江の戦いの時は39歳。
敗戦後、タイトルの筑紫三宅連得許(とくこ)という人は
捕虜となって唐に連行されてしまいます。
得許は死刑を免れて日本に戻って来たけど、その時は既に天武天皇13年。
二十一年ぶりの帰国でした。
新羅経由だったと『日本書紀』には書かれています。
中大兄皇子(天智天皇)の崩御はわずか47歳の時でした。
帰還した得許は旧山門郡までやって来て中大兄皇子の祈りの場を訪ねます。
それが、みやま市の太神宮(だいじんぐう)。
七支刀を持った神像がある磯上物部神社のすぐ近くです。
太神宮では天智天皇が即位する前に神籬を作って、朝夕祈っていたそうです。

得許は太神宮を奉納したといいます。
祭神は天照大神。
得許が捕虜になった時はまだ若々しかった中大兄皇子。
まさか、あの中大兄皇子が自分より先に亡くなるとは。
そんな得許の思いが伝わってきそうです。
供養の意味を込めて神籬の後を神宮にしたのでしょうね。
きっと、生前の皇子のことを良く知っていたのでしょう。
他の物語はコチラ<ことのかたり>に置いています。
http://lunabura.exblog.jp/i235/
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所で、この特許という女人が建てたお社、ご祭神が天照大神という事ですがそれはアマテラスなのか、アマテルなのか…。どう思われますか?
天智天皇と天武天皇では祭祀の感じが全く違う気がしています。(・・;)
私の子供の頃に尊敬した額田王は本当はどちらを愛していたのでしょうね。子供の頃に読んだ大和和紀の漫画「天の果て地の限り」をリアルに感じてしまいました。その漫画では、天智天皇は火の化身、天武天皇は水の化身、といった書かれ方でした。そして火と水を操るのが火と水の巫女、額田王という感じでした。
でも、るなさんが明らかにしてきている古代の天智天皇、天武天皇は逆かなぁと最近は思っています。
またまた妄想を失礼致したました。(汗) by水月
前に偶然このページを読んで三宅?と気になっていたのですが、図書館で三宅神というものを見つけました。
「筑後国神名帳写(高良大社蔵)に三毛郡の神々の名として十三神が記されています
大嶋神…三宅神… /子どもと学ぶ大牟田の歴史」先月出た本です
検索すれば神社が出てくるのかな?と思ったのですが何も出てきません。。
それともうひとつ、
大牟田に三宅という地名はないようで、福岡南区にはあるな~と思ってましたが
ふと手に取った本に冒頭から三宅の地名が出てきました!
「古い地名三宅 福岡の南区に三宅という地名がある
『日本地名大辞典・40福岡県/角川書店』で三宅を見てみますと…この那津官家は穀物を蓄えて…
古代の三宅郷、中世の三宅村…現在の南区三宅
【三宅郷】
那津官家の跡で…新羅を経由して帰国した筑紫三宅連得許…」
/九州古代王朝の謎・荒金卓也
三宅連さん本人も出てきました。
(後は私には難しすぎてスルー、、)
やはり南区の三宅でしょうか?
分かりやすくるな様が解説をして下さい~♪
>【三宅郷】
那津官家の跡で…新羅を経由して帰国した筑紫三宅連得許…」
/九州古代王朝の謎・荒金卓也
の出典を調べてみたのですが、ネットでは分かりませんでした。
荒金氏の本の中で、何かから引用してあるのですよね。
時間がある時に、教えてくださいませ。








