2016年 10月 29日
白鳥座 規矩星 きくのほし
白鳥座
規矩星(きくのほし)

<「さきくさ」は聖書の百合であり、天文学でいう星座の白鳥キグナスであった。
古事記允恭記には木梨軽皇子(きなしかるのみこ)と
衣通郎女(そとおしのいらつめ)の名が見える。
白鳥座の古名は十薹星(そとうのほし)、木梨星(きなしのほし)、
軽子星(かるのほし)などがあった。
機久(規矩・木魂)星(きくのほし)。物干し竿を衣透(そとほし)といった。
星は記紀の頃にはすでに古人の心に身に溶けてしまって、
表にはもはや出てこなかったのである。>
『儺の国の星』p188
白鳥座もまた見る人によって異なる物語を持っていました。
『古事記』の衣通姫、軽大郎女は同じ人で、
白鳥座の名を持った人ということになります。
でも、『古事記』の時代には星の意味は忘れ去られたようですね。

(画像出典 ウィキペディア)
白鳥座を規矩(きく)の星とも言ったそうです。
確か、規矩の星と言って北斗七星を指すという話も載っていたと思います。
さて、企救(きく)国は白鳥座なのか、北斗七星なのか。
どっちかな。
以下はウィキペディアから。
衣通姫(そとおりひめ、そとおし-)は、記紀にて伝承される女性。衣通郎姫(そとおしのいらつめ)・衣通郎女・衣通王とも。大変に美しい女性であり、その美しさが衣を通して輝くことからこの名の由来となっている。本朝三美人の一人とも称される。
『古事記』には、允恭天皇皇女の軽大郎女(かるのおおいらつめ)の別名とし、同母兄である軽太子(かるのひつぎのみこ)と情を通じるタブーを犯す。それが原因で允恭天皇崩御後、軽太子は群臣に背かれて失脚、伊予へ流刑となるが、衣通姫もそれを追って伊予に赴き、再会を果たした二人は心中する(衣通姫伝説)。
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