2016年 11月 05日
地名 古賀・通古賀・遠朝廷 こが・とおのこが・とおのみかど
地名
古賀・通古賀・遠朝廷
こが・とおのこが・とおのみかど
筑紫(ちくし)では海浜の水路を古賀(こが)という。
渚(なぎさ)に平行に水を通すところから通古賀(とおりこが)の名があった。
察するに網引(あびき)がはげしく海底の土砂を汀に打ち上げるから
疎水はいつも汀線(みぎわせん)に沿うことになり、
これが自然に溝の海側の岸を高く積み上げ、
ついには巨大な砂丘を形成して松原が育つことになるのである。
『儺の国の星拾遺』p58
【古賀】こが
福岡県古賀市は玄界灘に面していて、
松原を抜けると防波堤があり、すぐ近くに波が寄せている。
渚に沿った水路は思い浮かばないが、
段丘の形成前にはそんな水路があったのかもしれない。
このような地形の名称は何というのだろう。
「海岸段丘」かと思って調べると、これは断層による段丘を指すらしく、
うまく名称が見つからない。

思い起こせば、志式神社裏手の奈多の浜や

福津市・年毛宮(としもぐう)の裏手の弓ケ浜の砂の段丘と松原は
どちらも防波堤がなく、自然のままだ。
特に年毛宮の宮司の話によると、
昔は海藻が子供の背丈ほど積み上がったというので、
寄せる波の強さが想像できる。
年々、砂が打ち寄せて段丘が形成された。
この時、年毛宮もまた安曇族だと言われた。
また、宗像族とも通婚しているとも聞いた。
沖ノ島に向かう船が立ち寄り、水を汲んでいったという。
それには、安曇族も宗像族も関係なかったのだろう。
沖ノ島祭祀に関しては、宗像族だけで論考すると見落とすものが多い。
【通古賀】とおのこが
さて、通古賀(とおのこが)は太宰府市にある。
陸地奥深い所にあるが、「とお」とは「船」のことだ。
そこまで船が入る水際という意味になる。
「ありなれ川」の時代のことだろう。
「たぶ」「だぶ」も船を指す。
「タブの木」は「船の木」という意味で、
船材になることから付いたと思われる。
「とお」に「唐」の漢字を当てたケースもある。
「唐ケ崎」の地名が鞍手にあるが、
船が停泊する湊があったと考えられる。
遠賀川左岸にある「唐ノ松」神社の場所もかつては島だったことから、
「とう」(船)が泊まることのできる小島だったのだろう。
伝承では「渡海の松」が始まりだという。
【遠の朝廷】とおのみかど
「遠の朝廷」は「とおのみかど」と読むが、
「船が行き交う」朝廷という意味から来ているという。
通説は「近畿から見て遠い朝廷」というが、
改めて見直すと不自然な説明だ。
日本に二つ、朝廷があったという前提になってしまう。
倭王朝と日本王朝があったとすれば一応説明はつくが。
いつもポチっと応援ありがとう。
にほんブログ村
「とお」(ダブ)や「かの」(カヌー)「もろた」など、船の古語については真鍋の本からの紹介ですが、実はライフブログで紹介している「悲劇の好字」の中にも、台湾などを中心としたポリネシア系の船の名称が出てきていて、それが真鍋の本と呼応するのです。
驚くほど日本の地名に残っています。
このテーマ、かなり面白いですね。
そうすると、岬だったのかな。








