2017年 04月 08日
ひめちゃご65 三島神社 国乳別皇子の御魂を祀る宮
ひめちゃご65
三島神社
国乳別皇子の御魂を祀る宮
高三潴(たかみずま)で連玉ビーズが見つかったことから、
国乳別皇子(くにちわけのみこ)の話になったが、
思えば皇子はヤマトタケルの異母兄弟なのだ。
「ひめちゃご」とは全然違う方向に進んでいるかと思うと、
そうではなかった。
これはヤマトタケルの時代であり、
三女神を祀る水沼(みぬま)の話でもあるのだ。
景行天皇がどれほどこの女神たちを敬愛していたか、
今頃、気が付いた。
三女神の謎は景行天皇を調べる方が早く解けるのかもしれない。
ヤマトタケルは粗暴な性格のため、
父の景行天皇に疎まれたように『古事記』では描く。
しかし、『日本書紀』では異常なほどの可愛がり方だ。
嘘をつくと饒舌になるのが書紀の癖だ。
ヤマトタケルには佐賀や東国で戦わせるのに対し、
国乳別皇子には敬愛する三女神のクニを治めさせた。
同じ子供でもヤマトタケルと国乳別皇子の取り扱いが全く違っている。
さて、国乳別皇子の政治の地から出土した連玉ビーズは
さらに新しい出会いをもたらしてくれた。
それが三島神社である。
なんと、ここにも国乳別皇子の御魂が祀られているという。
三潴郡大木町蛭池871
弓頭神社からは南に四キロほどの所だ。
古代は海の中ではないかと思われるほど有明海に近い。
これが遠景だ。
往時は島だったという。現在でも標高4.8mほどある。
この鳥居は明治32年に四国から持って来たという。
そして、参道は珍しくL字型になっている。
こちらが正面参道だ。
石橋を渡ると神門があり、随身が脇を固めている。
拝殿には豪奢な彫刻が施されている。
ご祭神は前面に事代主が祀られ、裏に国乳別皇子が祀られているという。
社家は宮崎姓で、かつては水沼姓だったという点で、
赤司八幡神社と同じだ。
大友氏に三女神を祀る神殿を焼くか、水沼姓を捨てるか迫られ、
女神の神殿を守った話は以前も書いた。
そして、事代主命を祀るようになったのは、延応元年(1239)に、
伊豆国の藤原家房(1167-1196)の玄孫(やしゃご)にあたる
西牟田弥次郎家綱が当地の地頭職に任ぜられてやって来たとき、
伊豆の三島神社をここに分祀したことによるものだという。
このようにして祭神が上書きされたのだが、
古絵図にも
「境内末社、若宮神社は延応以前の産神にして、千年以上の旧社なり」
とあり、こちらに国乳別皇子の御魂が祀られていたのが、
本殿に遷されたという。
本殿の右手に若宮神社がある。(上の画像)
こうしてみると、
国乳別皇子の陵墓と廟殿は高三潴に、
そして御魂は格別に南の島に祀ったのだから、
水沼君は景行天皇の皇子を殊の外、尊んだことが分かる。
そのスケールは大きい。
『神功皇后伝承を歩く』下巻
56赤司八幡神社
57弓頭神社
赤 三島神社 三潴郡大木町蛭池871
紫 弓頭神社
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