2017年 04月 11日
ひめちゃご66 水鳥のすだく水沼を皇都となせり
ひめちゃご66
水鳥のすだく水沼を皇都となせり
三島神社の掲示板に足を止めた。
そこには万葉集の一首があった。
「水鳥のすだく水沼を都となせり」
そういえば、この歌は何処の歌かと思ったことがあった。
それがここか。
宮司に尋ねると、ここではなく、高三潴の方だという。
そうだ。高三潴こそ政治の地だった。
念のために万葉集を開いてみる。(岩波)
4261番
大君は神にし坐せば水鳥の多集く水沼を都となしつ
おおきみはかみにしませばみずとりのすだくみぬまをみやことなしつ
作者詳らかならず
右の件の二首は、天平勝宝四年(752)二月二日に聞きて即ちここに載す
原典は以下のようになっている。
大王者 神尓之座者 水鳥乃 須太久水奴麻乎 皇都常成通
(※尓は山へん)
なんと原典では「都」ではなく「皇都」と書いてあるではないか。
これは大変なことだ。
「皇都」と単なる「都」では意味が違う。
これまではどうして「都」とされてきたのか。
「大君」は「大王」と書いてある。
これもそのまま「大王」で良かったはずである。
万葉集とは、かくも自由に文字変換されていたのか。
一般的な訳は、
大君は神でいらっしゃるので水鳥が集まってくる水沼の地を都とされた
で、
奈良の沼地に大君が木建設工事を采配して都を建設したような歌
となっている。
「右の件の二首」とあるので、
もう一首、その前に書かれた歌について確認してみた。
万葉集の編者は752年に聞いた歌を二首並べて載せていたのだ。
皇者 神尓之座者 赤駒之 腹婆布田為乎 京師跡奈之都
おおきみは かみにしませば あかこまの はらばうたいを みやことなしつ
例の歌ではないか。
あの天智天皇がみやまヤマトの太神宮で祈りの日々を送って
腹赤魚をもらって吉兆とした謎解きの歌なのだ。
「田」とは「たんぼ」ではなく、「指標となる星」のことで、
「赤駒」とは低緯度オーロラ。
すなわち、オーロラがでる北の天帝の座をも統べるようになったという歌で、
中大兄皇子が長い皇太子時代を終えて天皇の座に就いたという意味が
込められていた。
奈良で泥田を干拓した土木工事の素晴らしさを詠んだという
通説の歌ではないことを確認していた。
まさか、ここに戻ってくるとは。
万葉集の編者は、これが水奴麻(水沼)の皇家と都を示す歌と知ったために、
黙って置いたのか。
「水鳥乃 須太久水奴麻」は「皇都」
水沼の地に「皇都」があった。
こんな重要な歌を知ったため、説明を加えずに置いた。
そんな配慮があったのか。
これが時々浮上してくる三潴の皇都説の由来か。
「水沼」は倭妙類聚抄には「筑後国三潴郡美無万」とあるらしい。
水沼とは天と人をつなぐ巫女を出す家。
そこに入り婿した国乳別皇子。
政治の地、高三潴。(弓頭神社)(下巻57)
国際港、大善寺。(大善寺玉垂宮)(下巻78)
国乳別皇子の霊島、三潴郡大木町。
三女神が降臨した聖地、赤司(赤司八幡神社)(下巻56)
筑後川の真水と有明海の海水がせめぎ合い、
水と干潟が日に何度も姿を変えるところ。
それが水沼の統べる皇都だったというのか。
水沼ノ総社 三島神社
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この記事に関するコメントをさせていただきます。
この水沼の皇都の歌は、「赤駒=馬」、「腹這ふ=横様(よこさま)=邪(よこしま)」、そして「田為=台」、
合わせると「邪・馬・台」=「邪馬台」という福永晋三先生の「謎歌」説などがあります。
るなさんが原典主義というのは承知しておりますが、福永先生はご存知ですよね?
もしご興味があればぜひ下のリンク(自分のブログですが)を一考していただけたらと思います。
http://okanoagata.blogspot.jp/2017/01/30.html
そんな考え方もあるのですね。
全く関係ないですが、北野町に知り合いがいて
良く馬刺しを買ってくれます☆
そしてこの前、近くの太刀洗町で馬ホルモンの
もつ鍋を食べました。
馬肉を食べる習慣がこの地域にはあります。
なんとなく宮地嶽付近の馬牧場を思いだすんですよねー。意味はないけどw
水沼と関係あるんでしょうかねー☆
g22さんにとっては何かのサインかもですね(^^;
「取り掛かるよ」の記事で腹赤星のことをコメントさせていただいた時、4261番歌のことも書きたかったのでとても嬉しいです!!
本当はセットなのでは?と思えるたのですが、4260番の方は題詞と左注が書いてありますから言えなくて。。。
非公開コメントでしたので、何の話か他の方にはさっぱりだと思います。
『儺の國の星拾遺』に書かれている発想が天智天皇にあったら、腹赤が特別な意味になるのでは?と言うお話をさせていただいたのでした。
該当箇所を一部引用します。お持ちの方は156ページです。
引用開始******************************
万葉集巻第十九 大伴御行(六四六~七〇一)作
大君は 神にし坐せば 赤駒の
匍匐ふ田井を 都となしつ
腹赤駒は、中世以後は蠑螈になるが、天武帝(六七三~六
八六)の頃は、極光赤気を表現した。即ち宇宙の中心を
も統治し賜う天皇の業績を賞め讃えた歌であった。北辰
を腹赤星と言う。察するに赤気が日本でも隈なく美しく
見えた時代の呼び名であったらしい。
********************************引用終わり
(極光はオーロラ、赤気は特に低緯度で見られるオーロラのことなのですが、説明すると長くなるので自分のブログに書きました。自分用のメモなのでヘッポコな記事ですが、もし興味とお時間がある方は、名前の所に記事のurlを入れていますのでどうぞ。)
本当に、腹赤の魚と低緯度オーロラの画像を見ると一目瞭然なのでよろしければ見てみて下さい。
こちらにも画像だけですが置いております。
http://sorano.xrea.jp/?page_id=885
「腹赤駒」の話の中にペガサス座のことが出てくるのですが、天の北極が白鳥座が琴座あたりにあった頃の記憶ではないか?と思えました。
それで、今同じよう現象を見るとしたら、冬の夕焼けか春の朝焼けになるんですね。
で、皆さんがみやま市にある太神宮の祭祀のお話をされていた時、私は夜空をシミュレーションして遊んでいたのですが、662年3月20日の日の出の画像を作っていたのを思い出しました。
前後の年に天智天皇が春分の日の出を見ていたら、未明にペガサス座が上り、日の出となります。
序でと言ってはなんですが、小ネタになるかなと思いまして。
時系列に四枚並べてみました。
http://sorano.xrea.jp/?page_id=876
腹赤の話は付会に過ぎるかなとも思いますが、私は一つの理解を得られたのでした。
ブログの方も伺ったのですが、、、
Yahoo!の、検索の窓では開かなくて、一番上の「yahoo.co.jp」のアドレスのところに上書きするとつながりました!
あの歌はオーロラだけでなく、もっと沢山の星を詠んで暗示していたんですね!
gifを作っている時に気づいたのですが、太歳星(アンドロメダ座ν星)も見えていたのですね。
『儺の國の星拾遺』には「太歳は至日分日立日が朔望と正しく一致する年を選ぶ。」(21ページ)と書かれていましたので、この条件を満たす年をピックアップすれば、太歳が662年でなければならなかったのか、そうではないけれどこの年にしたのかが、わかるかもしれないなぁと思いました。
チェリーさんはじめまして。
見て下さってありがとうございます。
チェリーさんの的確な見立てと美しい作図に、いつも感嘆しております。
実はブログを読ませていただいています。
喪山古墳の記事は感動でした。(個人的に天稚彦に思い入れがあるのと、垂井という町を知っているものですから。)
チェリーさんの言葉で勇気が出ました。
ありがとうございます。
私は天文に疎くて、本当に感嘆いたしました。すごいなぁ~
最近思うことなのですが、天文を観測して祭祀する場所というのは、私が大地にライン引っ張って調べている場所に乗っかっているんじゃないかと…地のラインの上位概念として、天体祭祀があるんじゃないかなぁ…と勝手に想像したりしています。
天文の勉強してみようかなぁ…
拙ブログを読んでいただいて、ありがとうございます。率直にうれしいです!元気出ました!
喪山伝説は不思議なお話です。喪屋を蹴飛ばして、落ちたところが山になっちゃうというのも、ダイナミックな話ですね~
その続編が、私の「地図でつなぐ聖地の旅」の右側のカテゴリのタグにある「猿投山」です。「天若日子(あめのわかひこ)の山」というタイトルになっています。
まだのようでしたら、お暇な時に覗いてやってくださいね!!
チェリーさんのブログは全部読ませていただいたのですが、また最初から読み始めました。
改めてすごいことをされてらっしゃるなぁと思います。
実は、思いついて201年の日食もシミュレートしたのです。
忌宮神社から見て欠けた太陽が昇ってきました!
位登八幡だと食分が違ってきますが。
皆さんのお話をお邪魔しない時を見計らって、ネタとしてどこかでコメントさせていただくかもデス。
と、いらぬお節介を申すものがここに一人(*'▽')
拙ブログを全部読んでいただいただなんて…
初めての方だと思います!私ですら読んでない!
この御恩、一生忘れることはありません!!
全国を回る予定なんですが、このペースだと100年以上かかってしまいます…
寿命との競争になるのですが、書き続ける勇気をいただきました。
ありがとうございました。