ひもろぎ逍遥

lunabura.exblog.jp ブログトップ

はらはらなモデム



モデムの接続切れが数日おきに起こるようになったので、
いよいよ老朽化だろうなと思って電話をし、
みてもらうことになりました。

電話を切ったあと、念のためにもう一度トライしたら、
ちゃんと繋がりました。
ま、こんなものでしょうが。(*´ω`)

ブログ休んだら、パソコンが繋がってないんだな、と思ってくださいませ。
来週には治ります。

ところで、もしかしたら、
西日本はこのまま梅雨明けの可能性もあるそうで。

今日は、ついに30度越え。

お互いに、暑さ対策、ぬかりなく、まいりませう。


歴史カフェも、執筆の目途がつくまでお休みしますね。

夏籠りです(;´・ω・)





いつもポチっと応援ありがとう。
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村
c0222861_15184581.gif

[PR]
by lunabura | 2017-06-30 21:48 | にっき | Trackback | Comments(2)
トラックバックURL : https://lunabura.exblog.jp/tb/26779588
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
Commented by ピヨピヨ at 2017-07-02 18:08 x
こんにちは!るなさん(^o^)先日の投稿のご意見を頂いて、仲哀の九州出兵について色々な記事を読みあさってました。そうすると、以下の疑問が浮かんできました(妄想ネ)
①-景行の平らげた九州に何故?仲哀は10年近くはいれなかったのだろうか。
②-①の事から、仲哀と景行の血縁は遠いのでは?また、関門海峡で対峙していることから海峡を押さえていた熊鰐討伐が目的だろうか。
③-豊浦宮へ攻めてきた賊は、新羅ではなく熊鰐ではないのか。
④-豊浦宮に居ること約10年後、仲哀と神功が別々のルートで九州ねに向かった時、船が進まなくなった事とは、熊鰐との戦闘を表しているのではないか。
⑤-岡田宮へ入った神功は、田心姫(当時の数代目卑弥呼と推察)から、強制的に卑弥呼継承させたのではなか。
⑥-神功の田油姫討伐は、筑後へ逃げて未だに卑弥呼女王として君臨していた田心姫の欺きに対してのものだったのか。
⑦-倭人伝の卑弥呼の死後の男王と女王の記事は、景行系統から神功系統へのクーデターを表しているのか。
⑧-これから追及したい疑問ができました。それは、景行と仲哀の時世がいったい何年の隔たりがあるのか?です。神夏磯姫が西召奴だとすると最高で約260年、でも、百済の建国がはっきりしないのではどうもこうも( 〃▽〃)
Commented by lunabura at 2017-07-02 21:52
ピヨピヨさん、こんばんは。
仮説の上に仮説を立てると、収拾がつかなくなります。
是非とも、文献を直接読んでください。
拙著に、答えはすべて書いていますが、
お持ちでなかったら、
ネットで「福岡県神社誌」を直接読むことができます。
人の説でなく、ダイレクトに文献を読めば、その謎はすべて解けます♪
line

綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


by lunabura
line
クリエイティビティを刺激するポータル homepage.excite
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30