2017年 08月 28日
ひめちゃご87 福童神社 天照国照彦火明命はニギハヤヒ?
ひめちゃご87
福童神社
天照国照彦火明命はニギハヤヒ?
媛社神社から姫古曽神社に向かう途中に、福童神社がある。
直線で西に1.5キロほどの距離だ。
歩いて行ける距離だが間に川がある。
福童神社は小郡市福童(ふくどう)の神屋敷に鎮座する。
社殿は南面し、正面に入口がある。
しかし、境内に足を踏み入れてから違和感が付きまとった。
鳥居の位置や植物の配置から、
現在の社殿とは違う境内の形が見えてくるのだ。

創建は438年前(平成7年から遡って)の室町時代末期とされている。
神殿から弘治3年(1557年)の木札が出ているそうだ。
しかし、社殿が建つ前から宮があったと感じられた。
祭神は天照国照彦火明命。
これを見て、さらに混乱に陥った。
ニギハヤヒが小郡に祀られている。
ところが、火明命は饒速日(ニギハヤヒ)とされるが、
『日本書紀』一書では、海幸彦とする。
そもそも「天照国照彦火明命」と「火明命」は別神なのだろうか。
実はこの「火明命」が海の中道の志式神社に豊玉姫と共に祀られているのだ。
「荒ぶる神々」の一柱なのである。
志式神社は明らかに安曇族の神社である。
しかし、志賀海神社に尋ねると、祭祀的な関連は全く無いという。
火明命が海幸彦なら、志式神社に祀られるのは理解できるが、
ニギハヤヒとなると、その関連が分からない。
神功皇后の本を書く時も、分からないままを書き、
後世の研究に委ねることとした経緯がある。
ここ小郡は物部が濃厚に存在している。
ここでの天照国照彦火明命はニギハヤヒなのだろう。
そういえば、媛社神社も鳥居の「磐船神社」から、ニギハヤヒの痕跡がみられた。
ここがその中心の宮だったのだろうか。
地形は、微高地の南部にあったと考えられる。
集落から出れば、肥沃な田園地帯が広がっている。
かつては中津海だったのだ。

境内から社殿を撮ると、朝日が少し高くなっていた。
この向こうには媛社神社がある。

東の鳥居は「天照□□」と読めた。
春・秋分の日には鳥居の向こうから朝日が昇る。
どこか、太陽祭祀の名残も感じられる宮だった。
志式神社(ししき) 「神功皇后伝承を歩く」下巻72
赤 福童神社 紫 媛社神社(七夕神社)
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福童神社は耳納連山の最高峰「鷹取山」から 300.0°になりました。
そして、まれな事だと思うのですが、ちょうどここから冬至の太陽が昇るようです。
方位のラインと太陽のラインが一致するみたいです。カシミールの画像が正しければの話ですが…
鷹取山というのはどうなんでしょう?耳納連山の最高峰になりますので、ラインの立場としては一番の重要ポイントなのですが、信仰の対象とはなっていないみたいですねぇ…
画像送りますね!








