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ひもろぎ逍遥

八女津媛(やめつひめ) 『日本書紀』



八女津媛(やめつひめ) 

『日本書紀』


今日は八女津媛を読みましょう。

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景行天皇は熊本の阿蘇から筑後の三池に着くと
高田行宮(あんぐう)に滞在しました。

それから7月7日に八女に入りました。

この時、藤山を越えて南の粟岬の方を見て、
「山の稜線が重なってなんと美しいのだ。神の山なのか」
と言われました。 

 この時、道案内をしていた水沼県主の猿大海(さるおおみ)が、
「女神(ひめがみ)がいらっしゃいます。
名前を八女津媛と言います。いつも山の中にいらっしゃるのです」

と申し上げました。
八女(やめ)国という名はここから付きました。


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福岡をさまよううちに、
景行天皇にも何度も出会いましたね。

景行天皇はヤマトタケルの父ですが、
今日の一文は阿蘇から筑後に出て来た時の話です。

この時、道案内をしたのが猿大海ですが、
赤司八幡神社で、
「猿大海の屋敷はここにありましたよ」
と聞いた時、
「え?え!」と絶句しました。
まさか、そんな話に出会えようとは。

猿大海は八女津媛のことを良く知っていたのですね。
景行天皇も遠くから眺めるだけだったのでしょう。

景行天皇は三女神信仰が篤く、この赤司八幡神社や
福成神社、日王山などで祀っています。


話は戻りますが、
阿蘇から有明海を通って筑後平野に出る時、
高田行宮まで水先案内をしたのが宇津羅姫でした。

宇津羅姫は「七支刀を持つ神像」のあるみやま市
瀬高の女王でしたよ。

だから、物部氏も女王国だったのですね。

「高田行宮」がまだ見つかっていないのですが、
地元の人は御存じのようです。

こうしてみると、水沼族と物部氏 VS 土蜘蛛 葛築目
女王国同士の対立が見えてきますね。

何度も繰り返して少しずつ見えてくる古代社会。
筑後地方は女王国がいくつもあったことになります。


さて、「宗像三女神」など、
今日の締め切りの提出が終わりました。

ライオン広場の時間が7日(土)と8日(日)では
時間帯が違っています。
応援に来てくださる方、確認してください。

二日の内容は同じですが、多分雰囲気は変わるんだろうな。

というのも、パワーポイント無し、資料無しで
古代史を話すことは、私には経験が無く、
とても出来ないので、
アナウンサーさんとの対話形式をお願いしたからです。
これなら、楽しくやれそうです。
アナウンサー(MC)の方も二度目なら
質問内容が変わってくるでしょうからね。


それでも、三女神の特色である、道主貴とか、磐座とか、
漢字が難しいのに、知らない方に話すのは難しいなと
悩んでいたら、
昨夜のアイデアは、「ブログにレジメを出せばよい」
ということでした。
なるほど!
そうすればスマホを見ながら聞いてもらえばいい。

そう閃くと、その後は眠れませんでした(^^;

そして、今日は第3のマスメディアからの締め切りが突然来ました。
その締め切りが明後日(;’∀’)


ということで、コメントのお返事がまだ書けません。
何故なら、いただいたコメントはリンク先や記事を読んで、
きちんとお返事したいからです。
少しお待ちくださいね。
知人に知らせたいという方、どうぞ、どうぞ。




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by lunabura | 2017-10-02 20:39 | (ヤ・ラ・ワ行)神社 | Comments(0)

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