2017年 10月 11日
ことのかたり 豊玉姫と岩戸
ことのかたり
豊玉姫と岩戸
10月10日。
糸島の二見ケ浦にある夫婦岩のロケの準備のため、
あらためて櫻井神社のHPの縁起を見た。
<寛永6年(1629)のご神宣に
『わが邦、神の末より海と人との通路を断ちて二千余年を経たり、
今故ありてここに現ず、
岩戸は海の宮の通路なり、
正直を心として謀計を断ち清浄にしてわれに仕えなば、
禍を除き安穏ならしめんとなり>
と書かれている。
この神宣は二見ケ浦の夫婦岩に関するものだ。
つまり、夫婦岩は岩戸であり、海(わたつみ)の宮への通路だったのだ。
それが当時から計算して2000年あまり前に、
海と人との通路が断たれたが、ゆえあって、
1629年に通路が再び現れたという。
今から2400年前に、岩戸の通路を誰が断ったのか。
その答えを菊如が歴史カフェの時に話していた。
「夫婦岩の岩戸を誰が封じたのかと思っていたけど、
豊玉姫だったのねえ」
と。
日本書紀ではこうだ。
「豊玉姫は龍になって出産しているのを山幸彦に覗かれたことを知って
子供を萱(かや)で包んで海辺に捨て、海の道を閉じて去ってしまった。」
この閉じた海の道が眼前の夫婦岩の岩戸だったのだ。
豊玉姫は懐妊を知って、夫を追って糸島の志登神社に上陸した。
出産しようとして、この結果になった。

夫婦岩は海の宮への道であり、豊玉姫が岩戸を閉じた。
江戸時代にその岩戸が開いた。
その後、再び閉じたのだろうか、
平成になって再び岩戸が開かれるのを菊如と崋山は見たという。
海神(わだつみのかみ)の娘、豊玉姫。
志賀海神社は龍(たつ)の都。
竜女とされる豊玉姫。
10月10日のロケを通して、伝承が繋がった。
そして、その夜、菊如から電話があった。
同じ日に菊如たちにも豊玉姫の動きがあったという。
10月10日に意味があったのだろう。
糸島と大島で別々に豊玉姫にかかわった。
これは「始まり」なのだ。
実は、「ひめちゃご」の続きは既に始まっている。
「ひめちゃご」の最後を書くまで、
備忘のために、この「ことのかたり」に置いておこうと思う。
<2017年10月11日>
他の物語はコチラ<ことのかたり>に置いています。
http://lunabura.exblog.jp/i235/
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