2017年 10月 17日
地名の由来 宇陀野 有年野 有智野 内野 宇都野 宇佐野 加茂
【真鍋ノート】
地名の由来
宇陀野 有年野 有智野 内野 宇都野 宇佐野 加茂
今日は地名の由来について。
「ウチ・ウヅ・ウダ」系の地名が
山麓に展開する扇状地につけられ、
そこには鉱物を求めて加茂氏が移り住んだようすを
『儺の国の星 拾遺』からみていきたい。
P10
<山麓に展開する扇状地を、万葉の頃までは
宇陀野(うだの) 有年野(うねの) 有智野(うちの)
内野(うちの) 宇都野(うつの) などといった。
大和、近江、筑前、駿河などの諸国に今も郷名として生きている。
昔は宇佐野ともいったらしい。
万葉集巻一 間人(はしひと)連老作
たまきはる 宇智(うち)の大野に 馬並めて
朝踏ますらむ その草深野
伊都の北、葛城の南五條のあたりの風景である
中世からは津江(つや)の邑が開拓された。>
ウチ系統の地名は山から運ばれた土砂によって
形成された扇状地につけられるという。
津江に「つや」とルビが振ってあることから、
砂鉄関連の地名だということも見えてくる。
伊都の北は加布里山からの土砂崩れをさすのだろう。
葛城とは福岡の犬鳴連邦から宝満山の山系を指すと思われる。
すなわち、太宰府の五條の地のことか。
上記の万葉歌については「ウチ考」というタイトルで
すでに過去に考察した。
古田武彦氏の著書に啓発されて、現地調査したのだが、
氏の指摘する地名「内野」は江戸時代まで存在しなかったことが
証明されるという残念な結果となった。
今日のテーマはこれではない。
この扇状地に加茂氏が好んで集落を形成したという話だ。
<加茂の氏族はこの「うづみの」即ち山が崩壊して沢を
押し潰したところを選んで部落を形成した。
鉱脈が粉砕され、これが土地の下敷に沈殿しているからである。
橐師(たくし)を石上(いそのかみ)といい、
石を打ち金を鍛(う)つから、
その常用必携の団扇(うちわ)や扇子(せんす)を
その地形に見立てたものと考えられる。
(橐=ふいごう)
沼沢地であるから、水鳥がよくそばまで泳いできた。
特に鴨や加茂なる氏名に採られて今も京都に残っている>
<前述の万葉集の歌は、その狩場の描写であった>
うきは市、唐津市七山、京都市の
賀茂神社系を思うと、どれも清流のそばに鎮座する。
特に唐津市七山の地形は急斜面だ。
加茂氏が日本に入植してきて、
険しい山の麓という、あえて土砂災害の危険な地域に住むのは、
その下に沈殿する鉱物の存在を知ってのことだという。
「加茂」の地名も
山―川―扇状地
という地形で見ていくと、
全国に分布している理由がわかるのかもしれない。
<2017年10月17日>
<加茂氏><地名>
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