2017年 10月 29日
ひめちゃご100 物部神社 三階松紋は白村江戦後を象徴するか ここにも市杵島姫が
ひめちゃご100
物部神社
三階松紋は白村江戦後を象徴するか
ここにも市杵島姫が
「ひめちゃご」もついに100回となった。
壊れたパソコンは復元されて戻ってきたが、
画面が点灯しないという肝心の故障が治っていなかった。
再び修理に出した。
壊れてからもう一月近くになる。
新パソコンにバックアップデータを取り込みながら
「ひめちゃご」を完成させることにした。
幸い、昨年の秋の撮影だったので画像は残っていた。
ファイルを恐る恐る覗くと、イチョウの落ち葉を撮っていた。
丸一年が過ぎようとしていた。


ここは佐賀県三養基郡。

物部神社。
忘れもしない。
境内に入ってゲートボール場を過ぎるあたりで声が聞こえた。
「よく来られましたね」
女性の声だった。
思わず辺りを見回したが、当然ながら人はいない。
見えない世界からの歓迎の声に胸が熱くなった。
祭が行われたばかりのようだった。

この物部神社、神紋がなんと三階松なのだ。

宮地嶽神社と同じ神紋だ。
九州王朝すなわち倭王朝紋とされる三階松紋を物部神社が挙げている。
その意味が不明だった。
しかし、この難問は「高良玉垂宮神秘書」の解読によって解決した。
倭王朝は安曇族の阿部氏が主体だったが、
白村江の敗戦後、流浪の王家となった安曇族に代わって
高良山に仏教を受け入れて生き延びたのが物部氏だったのだ。
だから高良下宮社には物部氏の社殿に三階松紋がある。
阿倍磐井も皇別とあるので、古いところでは系図が交錯している。
この三養基郡の物部神社も、その背景の上にあるのだろう。
これを知るために、一年の学びをしてきたようだ。
ここはかつて「北茂安町」だった。
「北茂安町史」にこの物部神社が載っていた。
鎮座地は 大字中津隈(板部)とある。
「創建・沿革」に次のようにあった。
<推古天皇は602年2月に来目皇子を撃新羅将軍に任ずる。
皇子は国造・伴造らの軍勢。2万5000人を率いて筑紫に到着する。
その時、物部若宮部をして今の板部の地に「神の社」を建てさせた。
戦勝祈願のためと考えられる。
「肥前国風土記」に
「此の郷の中に社あり、名を物部の経津主之神という」
とあるのが今の板部の「物部神社」であろう。
なお、来目皇子は602年6月病気にかかり、翌603年2月に亡くなっている。
新羅攻撃は中止になったという。
とすれば、物部神社の創建は602年で、北茂安町にある神社の中では
最も古いということになりそうである。>
こここそ、風土記にも書かれた物部神社だった。
しかし当時、社殿が建てられたわけではないだろう。
社殿を造営したのは、正平年中(1346~1370)、当時この地を治めていた地頭・
板部越前守成尚であり、
再建したのは延享5年(1748)、国主・鍋島宗教によっている。
これからすると、後世になって三階松紋になったと思われた。
当社は今は物部神社だが、明治34年までは「板部神社」と称したという。
さて、祭神は物部経津主神とあるが、
町史によると市杵島姫命も祀られていた。
ここにも、まさかの市杵島姫だった。
饒速日の妃として、市杵島姫信仰は
この佐賀東部にずらりと見られたことになる。
さて、この日、参拝を済ませて戻る時、
「私たちはここにいます」
という声が聞こえた。

声の方を見ると、森があった。
この社を守った一族が奥津城としているのだろうか。
いかにも古代の営みがありそうな丘だ。
この物部神社の創始が風土記にあるように推古天皇の時代だとすると、
あの磐井の乱の時代、朝日山宮地嶽神社に対して、
物部神社は物部氏の拠点となったのではないかと考えたことは
誤りとなる。
しかし、この森から6世紀より前の墳墓が見つかれば、
もともとここには市杵島姫を祀る物部氏がいて、
新たに武神を迎えて祀ったとという仮説もあり得よう。
が、それは発掘を待たねばならない。

チェリーがすごい画像を作ってくれた。
千栗八幡宮や物部神社が岬上に建っていることが良く分かる。
クジラが岬の話をよくしていたね。
一年前に、この画像を東から西へと夕陽に向かって参拝していった。
さあ、次回はいよいよ始まりの宮、若宮八幡神社だ。
<ひめちゃご>
<2017年10月29日>
本日天皇皇后両陛下、宗像大社へ。
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筑後川の蛇行がよくわかりますね。
あの、お節介かとは思いましたけれど、水天宮はもともとは梅林寺の所にあったそうです。
しかし物部神社の西500mの宝満神社(祭神は玉依姫命であり、息長足姫命、市杵島姫命、大山咋命も合祀されています)の境内には、前方後円墳である中津宝満宮古墳や他の古墳の石室の石材が露出しています。また、三階松紋もあります。
水天宮、意外に低いと思ったのですが、梅林寺の所だったのですね。ありがとうございます。
手掛かりができて、少しわかってきました。^^
壊れない80年代の日本製ではないので5年目安で交換デス☆
さて佐賀東部ですが まさに父方の御先祖の話と直接関係致します。
宮地嶽神社から始まってる。ほんとに?(¬_¬)そうなのでコワイコワイ(∩´﹏`∩)
デス なんで相島なんかも意味不明ですが。なんとなく動くと
こうなってしまってw
チェリーさん スゴいデス 有難うございます。








