2017年 11月 01日
ひめちゃご103 検見谷遺跡付近地図に画竜点睛を
ひめちゃご103
検見谷遺跡付近地図に画竜点睛を
前回、検見谷遺跡の場所が分からないと書いたが、
チェリーが出土したという佐賀カントリー倶楽部の地図を作製してくれた。

以下はそのコメント。
<いろんな地図を合成して、マウスでなぞったという荒い地図ですけど…
黒い線が佐賀カントリー倶楽部の範囲です。
赤い線が標高20mの等高線、暗い赤の線が標高30mの等高線です。
佐賀カントリーの左上の端あたりに、西から入って南に登る谷がありますが
(白石神社・白石焼窯元への道を登り詰めて、
クラブハウスへの道に合流して、南に進むのですが)、
佐賀カントリーに達する前に標高30mを超えてしまいます!
該当する場所が見つかりません!!>
赤い標高線のラインより4m高い所に遺跡があるという。
<背振山地南麓から白壁地区に向かって延びる丘陵の西側に位置している。
この一帯の斜面にはたくさんの谷が複雑に入り込んでいるが、
銅矛出土地点は、その谷の一つの最奥部、南へ入り込む小支谷の斜面上で、
標高約24メートルの場所である。>
これを追求するのも面白そうだが、これは是非とも地元の方にお願いしたい。
今、12本の銅矛は文化庁にあるという。
文化庁や他県の大学に行ったものは地元から忘れさられる可能性がある。
そうやって、九州の歴史は失われていく。
背振山系の南麓にはずらりと古代の最高レベルの文化が花開いている。
奇跡的に保存された吉野ケ里遺跡レベルのものが
台地ごとに存在して、古代人の営みがあったのだ。
その古代人の心の支えが神社だった。
佐賀の奇跡はもう一つ「肥前風土記」が伝わっていることだ。
景行天皇の時代を軸にして、古代道を今でも感じることができる。
誰か、チェリーの描いた地図に赤い点を打ってほしい。
画竜点睛。
方法は、検見谷遺跡の発掘報告書を手に入れるか、
佐賀カントリー倶楽部に問い合わせる。
そうして、その人には、新たな旅が始まるのだ。
古代の歴史がアイデンティティとなり、
次世代の子供たちのチカラとなっていくのだ。
<ひめちゃご>
<2017年11月1日>
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ざっくりしか言いませんけど、佐賀カントリーのオーナー知ってるそうで。。。 まぁ国から潰されるの嫌?だから勝手に入られるの嫌だから的な話しはしとるとのこと。
佐賀はそういう遺跡をつぶされた過去あり(佐賀の乱)なんで
この辺の遺跡の考え方が全くもってスコットランドの島に似てます。政府を地主が遺跡に介入させないw 国が地主から買い取ったものだけが、スコットランド政府が認めた遺跡となります。3m超えの巨石を無視したまま野ざらしです。あの国はw
どちらも土着武士がかなりの力をもってますし、元々は肥前藩(長崎を含む)ですから、江戸幕府を戦艦一つで倒した佐賀藩のことなので、つぶされたた航海技術や海洋戦術など、イングランド側に負けたスコットランド人が、江戸末期に、そして足軽大将に?そういうのを教えていてもおかしくねーな☆なんて
想像しながら楽しんでいます☆








