2017年 11月 05日
検見谷遺跡3 谷を愛でる民
ひめちゃご番外
検見谷遺跡3
谷を愛でる民
さて、佐賀県三養基郡(みやきぐん)の検見谷遺跡から
12本の銅矛が出土したが、その場所が分からなかった。
ありがたいことに地元の方からも連絡があった。
ところが、記事を書いた日、資料を保管するために整理していると、
北茂安町の史跡巡りマップが出てきた。
すっかり忘れていた。
見ると、そこに検見谷遺跡が書かれているではないか。
ゴルフ場内の左端に番号がふってあるだけだが。
目安は、
白石神社から南南西約500m。
北茂安中学校から東北より少し下がったところ約500mほどの地点。
通瀬川の谷の支流(支谷)に当たる。
これまた、アバウトな説明だが、これを元にチェリーが調べてくれた。
なんと面白い地図だろう。
あとは、調査報告書と照らし合わせれば良いだけになった。
メールでは、他に北茂安中の西400mの大塚古墳の連絡があった。
時代は違うが同じ台地にあるようなので、
いろいろと考察すると面白そうだ。
地元の方こそ、時代順に史跡を並べたりして、
基礎資料を作れば大きく進展する。
縁があれば、私もまた探訪することになるだろう。
さて、話を戻すが、私が出土地にこだわるのは、
これが出雲と同様の急斜面であることだ。
実は、女山(ぞやま)にも谷に埋納した銅矛が出土している。
土蜘蛛・田油津姫が逃げ込んで殺された場所が女山。
そこには神籠石があり、谷に埋納した銅矛二本が出土している。
谷に祈る人たち。
その存在が神籠石や銅矛から透けてみえてくる。
阿志岐、鹿毛馬、杷木の神籠石は谷を囲む構造になっている。
神籠石と銅矛の埋納に共通するのは「谷」への崇敬なのだ。
土蜘蛛たちが何故、渡来してきて山に住んだのか。
その答えは鉱山にある。
だから、私は出土地に強く関心をもっている。
さて、次回の歴史カフェは福岡での渡来人たち(古代氏族)の分布を
簡単に確認する。
そして、少しずつ、個々の渡来人たちに取り組みたいというのが
私の願いなのだ。
<2017年11月5日> <ひめちゃご>番外編
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