2017年 12月 11日
三星堆―古蜀国―イ族2 鳥居か?
三星堆―古蜀国―イ族2
鳥居か?
メモが出てきたので、もう少し記録しておこう。
アーモンドアイを持つ三星堆の巨大な神像。
これは額にある文字。
イ族が読むと「パ」という発音で「先祖」という意味になるという。
中国の「戦国時代」図。古蜀国とは蜀のことのようだ。
紀元前316年、秦は軍資金を得るために蜀を攻めた。
紀元前2世紀、蜀は四つの郡に分割された。
3世紀に反乱を起こしたイ族は諸葛孔明によって鎮圧される。
13世紀にフビライはイ族の城を攻め、全員を殺害。
逃げに逃げたイ族は今、大涼山の頂上に3万人の少数民族として蕎麦や羊で暮らす。
姓にはアユ、ムポがある。
名にはテル、アブ、グフ、マル、アカ、マショ。
神の言葉を伝えるピモは100人以上いる。
前回書いた、死者の魂に故郷の道を教える歌は「指路経」という。
その指し示す地は馬牧河(ムンプク)。すなわち蜀の地。
彼らの文字。
羊毛節には生きた鶏を高く掲げる。鳥居か、あるいはソッティなのか。
羊たちに、松で作った「浄化の門」をくぐらせると浄化されるという。
この松が日本では藁と紙垂(しで)になる。
イ族が武装を解除したのは、近年のこと。
その掟は「人の和を大切にする」だという。
蜀の文化は古代日本に通じている。
いつもポチっと応援ありがとう。
にほんブログ村