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天智天皇の足跡の取材に高宮、春日、大宰府へ



天智天皇の足跡の取材に

高宮、春日、大宰府へ



今日は中大兄皇子が関連する神社の取材に行ってきました。

高宮八幡宮(福岡市)、春日神社(春日市)、王城神社(太宰府市)です。

高宮八幡宮は中大兄皇子が神功皇后を祀り、
春日神社は天児屋根命を祀った神社です。
長津宮にいた時代ということで、戦勝祈願のために
祭祀をしたことがよく分かります。

王城神社は四王寺山から事代主命を遷したと言われています。
すなわち白村江戦後ですね。

取材に当たって、車の少ない日を選びましたが、
街中の神社は駐車場の問題があって、
一人ではなかなか参拝できないのでようやくいけました。

でも、今日の太宰府市は天満宮付近には近づけなかったです。
あまりに車が動かないので、脇にあったラーメン屋さんで
昼食を取りましたが、渋滞は減らず、
いったん逆方向に戻って、アプローチを試みました。
でも、ナビはすぐに渋滞路に導こうとします。

もう、数百メートルの所まで来ているのは分かるのですが。

運転してくれた夫も限界が近づいたのが見えたのであきらめて帰ろうとしたとき、間道を抜けようとする車を見つけ、最後の望みをかけて付いていきました。地元民が渋滞を避けていると思ったからです。それを追跡して、ようやくヒット。

取りあえずは榎社に到着して、徒歩で王城神社を探しに出かけました。
200mほどの距離です。

これで、何とか三社を回ったのですが、曇りの上にpm2.5のガスが濃くて、暗い写真しか撮れませんでした。撮り直すかどうか、後で判断しなければ、と思っています。


話を戻しますが、斉明天皇と天智天皇の関わる神社と寺は二十ほどあります。
意外に多いですね。

これも時系列に並べると、忘れ去られた歴史が浮かび上がります。
しかも、白村江戦の前と後。

この二天皇を追うことで、失われた倭国の終焉期を描いていこうと思っているのです。




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by lunabura | 2018-01-07 19:53 | にっき | Comments(11)
Commented by チェリー at 2018-01-08 01:32 x
耳納連山の鷹取山から北西方向に進むと隼鷹神社です!というラインを描いたりしてたんですが、そのまま延ばすと高宮八幡宮でした!春日神社はというと、マテラ山から300.0°でした。
中大兄皇子という人は、一体何を知っていたんだろう?と思うのは、私だけかもしれませんが…
Commented by omachi at 2018-01-08 17:54 x
気分転換にご利用下さい。
WEB小説「北円堂の秘密」を知ってますか。
グーグルやスマホでヒットし、小一時間で読めます。
その1からラストまで無料です。
少し難解ですが歴史ミステリーとして面白いです。
北円堂は古都奈良・興福寺の八角円堂です。
読めば歴史探偵の気分を味わえます。
気が向いたらご一読下さいませ。
重複、既読ならご免なさい。
ウォーキングだけでなく脳トレも大切ですからご利用下さいませ。
Commented by lunabura at 2018-01-08 22:24
チェリーさん、驚きですね。
ところで、四王寺山から二柱の神を中大兄皇子は王城神社と春日神社に遷したという伝承があるのですが、それぞれ南と西なんです。
角度は微妙にずれているのですが、どう思われますか?
王城神社は国衙があったので、何となく納得ですが、春日神社のポイントを選んだ理由が分からないのです。
麻氐良からのラインと四王寺からのラインの交点としても、もう一つ決定打が欲しいと思っていた所でした。
よかったら、調査お願いします。
Commented by lunabura at 2018-01-08 22:25
omachi さん、ご案内ありがとうございます^^
Commented by チェリー at 2018-01-11 01:36 x
lunaさん、こんばんは。調査中ですが…
春日神社と四王寺山の関係は難問です。これはどうかと思われるでしょうが…まず第一報で…

四王寺山頂上の毘沙門堂、ここにはまずOKだろうというラインが二本あって、まず、真北が宗像大社の辺津宮です。
もう1本がアテラ(筑紫野市の宮地岳)と筥崎宮をつなぐ南東・北西のラインです。太宰府天満宮と毘沙門堂を通ります。
つまり、アテラと四王寺山とは、関係が深いと言いたいんですが、これが前置きなんですが…

ちょっと、私としても唐突なお話なんですが、実は水城のことなんですが、アテラから大宰府政庁の正殿跡を通ると水城の東門に至ります(角度は無関係です)。そして東門と春日神社が東西関係になります。
更に、アテラから水城の西門を通ると直接春日神社に至ります(これも角度は無関係です)。
ということで、春日神社とアテラと四王寺山の水城に関係が認められるというのはいかがでしょうか?
とりあえず、少しお時間をいただいて、ブログにまとめますね!

王城神社はもっと難問で、これも調べています!
Commented by lunabura at 2018-01-11 22:36
チェリーさん、お手間を取らせています<(_ _)>
アテラは別名天山というのですが、神武天皇がその土を使って土器を造らせたということで、祭祀的に関わりがある山です。
関連の深さがラインに出てるようですね。
中大兄皇子が疎水を造ったのは東門か西門ではないかと、考えるようになりました。(これまでは中央を考えてたんですが)
通行税で観世音寺の経営をしたのですが、春日も関連が無いかなと考えていたのです。
王城神社縁起をブログに書くべきですが、少しお待ちくださいね。
Commented by チェリー at 2018-01-12 01:51 x
水城の東門は不思議な位置にあって、真北には久山町の斎宮があります。あと、まあこれは春日神社も筑前国分寺跡も太宰府天満宮もなんですが、宇佐八幡宮の西ということになります(一番正確なのは筑前国分寺跡です)。
そして、東門から博多区の那津官家は正確に北西になります。
水城の真ん中ということであれば、博多の住吉神社から南東に釈迦岳(本釈迦:福岡県の最高峰)までのラインが通ります。住吉神社と筑前町の東小田 峯遺跡との間のラインを取っても、ほとんど同じでした。
Commented by チェリー at 2018-01-12 02:35 x
不思議なお話のつづきをしてしまいますと、王城神社から北に、四王寺山の山腹を通過してそのまま進むと、伊野天照皇大神宮に至りました(方位は359.96°)。
更に北に進むと、王城神社からもっと正確に真北の地点があって、福津市の神興神社でした(方位は0.01°)。
Commented by lunabura at 2018-01-12 23:27
ほんとに不思議な位置関係ですね\(◎o◎)/
ところで、那津官家が特定されているとは、知りませんでした。ネットに出ていますか?
Commented by チェリー at 2018-01-13 01:35 x
ごめんなさい、ポイントを間違えていました!東門から正確に北西になるのは比恵遺跡のどこかでした。那津官家では2°程ずれてしまいます。ごめんなさい!
那津官家につきましては、「邪馬台国大研究」の方の記事が詳しいです。福岡市立春住小学校の南西隣に保護してある区域になるようです。
チェリーの名前をクリックしていただくと、その方の記事に飛ぶようにしてあります。
Commented by lunabura at 2018-01-14 11:10
チェリーさん、ありがとうございます。
後で見ておきますね。
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