2018年 01月 14日
阿志岐山を天山というのはこれだろうか
阿志岐山を天山というのはこれだろうか
筑紫野市阿志岐(あしき)にある阿志岐山(339m)は宮地嶽、阿氐良山
(あてら)、天山(あまやま)といくつもの呼び方がある。
それぞれに由来があるが、天山に関してはまだ情報がなかった。
ところが、王城神社の縁起を見ていると、
神武天皇と神功皇后に由来する可能性が出て来た。
一文が長いが、口語訳しよう。【 】の中は原文中の注書き的なもの。
◆
「神功皇后が橿日宮(香椎宮)にいらっしゃった時、
事代主神らが宝の国がある事を神託されたので、
武内宿禰【宗像郡鐘崎小屋形山(サヤカタ山)鎮座。織幡の御神なり】
と共に此の山(四王寺山)において、
天香山(あまのかこやま)の土
【今天山(あまやま)という。四王寺より辰の方にある。
私が思うに、天の香山(かこやま)に準じたか、
又、香山のゆえんがあるか】を採って、天の平瓫(ひらか)を造り
【瓦器なり。そこを今は瓦田という。
鞭懸(ぶちかけ)の木【今社を造るのに鞭懸という木がある。
私が思うに、今ブチカケ町という所がそこであろうか】を切って、
御舎(みあらか)を作って、天神地祇を祭り、
宝の国を得んことをこの御神に祈誓された。
【神武帝、東征の御時、神のお告げによって、
八十平瓦を造り、神祇を祭って東夷を平らげられた吉例からくるという】
◆
注書きが多くて読みづらい。
時系列に言い換えると、神武天皇が四王寺山にいた時、八十平瓦を造って東征を成功させたので、神功皇后もこれにならって、阿志岐山の土で土器を造って四王寺山に御殿を造って天地の神々に祈られた。
これが由来で、天香山に準じて天山というのではないか、
という私見が書かれている。
『高良玉垂宮神秘書』の一条に四王寺山が出てくるが、問題の多い箇所だ。
(系図が他の条と全く不整合という点で)
だた、四王寺山で神功皇后が祈ったという伝承がこれで合致した。
阿志岐山
宮地嶽
阿氐良山
の名の由来はすでに記事にしているので、近々、リンクしておきまする。
<20180114>
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