2018年 01月 30日
朝倉の回り方2
朝倉の回り方2
時間が許すなら、粟島神社からそのまま寺内ダムに向かいましょう。
そのゲートのちょっと手前に矢埜竹神社があります。
今回は、秋月から寺内ダムの羽白熊鷲の墓を経て
二つの美奈宜神社を巡るコースです。
そして、少しずつ斉明天皇と中大兄皇子の足跡が重なってきます。
今回氾濫した桂川は斉明天皇たちの舞台でもあるのです。
◆
秋月野鳥を拠点としていた羽白熊鷲は神功皇后軍に攻め込まれて、
寺内ダム方面に逃走します。
それを追った皇后軍は矢埜竹神社で矢の補充をし、
皇后と武内宿禰は喰那尾神社で戦術を練ります。
その後、羽白熊鷲は「あまぎ水の文化村」の敷地で
矢に討たれて亡くなったといいます。
勝利を収めた皇后軍は美奈宜神社で報恩の祈りを捧げて山を下り、
太刀八幡宮、福成神社で次なる敵、田油津姫討伐の準備をします。
今回はこれらの宮を辿り、さらにもう一つの美奈宜神社、
平塚川添遺跡、甘木歴史資料館を訪れます。
なお、福成神社は斉明天皇が先勝祈願をした宮でもあります。
斉明天皇が藤原鎌足に命じて作らせた宮野神社と、
天智天皇が斉明天皇病気平癒を祈願するために作った別所神社にも
訪れましょう。
◆
①矢埜竹神社(上巻49)矢野竹984
皇后軍が矢竹を刈り取った
②喰那尾神社(上巻48)三奈木4933
神功皇后は戦勝祈願をして陣を敷いた
③羽白熊鷲塚(上巻50)矢野竹831 あまぎ水の文化村
羽白熊鷲は矢に射られて死んだ
④美奈宜(みなぎ)神社(寺内)(上巻51)荷原2421
神功皇后は神々に戦勝の奉告をした
三連水車の里(昼食)
⑤太刀八幡宮(下巻52) 大庭7504
神功皇后は田油津姫攻撃に向けて太刀を奉納した
⑥福成神社(下巻53) 入地1673 神功皇后は宗像三女神に祈った
⑦美奈宜神社(林田)(上巻43)林田210川蜷が一夜で城を作った
⑧平塚川添遺跡 平塚444-4
⑨甘木歴史資料館 甘木216−2
⑩宮野神社 宮野1248 斉明天皇が藤原鎌足に祖神を祀らせた
⑪別所神社 須川3197 中大兄皇子が斉明天皇の病気平癒を祈った
バサロ 杷木久喜宮1665−1
平塚川添遺跡は初めてでした。
水の環濠が2~3重あって、風情がありました。
天気が良かったら良い雰囲気の弥生集落が撮れそう。
朝倉邪馬台国説の確認にはここは最適です。
羽白熊鷲は太宰府や飯塚までも荒らしまわっていたので、
この集落の人たちも襲撃の対象だったのではないかな、
と考えたり。
緑のきれいな季節にもう一度行きたいな。
ここには工人たちがいたんですって。
出土物は甘木歴史資料館にあるということで訪問すると、
絵画の展示があって、考古資料はほとんどありませんでした。
以前は資料が沢山展示されていたのです。
筑後地方の豊富な出土物を集めているのに、
それを見学できないようにするのは良い事ではありません。
歴史の抹殺になってしまいます。
展示法について、再考を求めたいと思いました。
美術館では無いのです。
歴史資料館は担うものが大きいのです。
下の「バスハイク」をクリックすると画像付きの現地案内が出てきます。
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