2018年 02月 02日
八咫烏1
さて、今日から2月11日の歴史カフェの予習復習です。
昨年は賀茂氏について、
八咫烏 -賀茂氏と鉄の民―
というタイトルで、
「古事記や日本書紀に書かれた八咫烏」と
「高句麗壁画に書かれた三足烏」について、
真鍋大覚の資料を元に、その関係を紐解きました。
高句麗壁画は6世紀のものなので、
当然ながら日本の神武天皇の方が古くなる訳です。
何もかもが朝鮮半島から来たとする説を採ると、時系列が合いません。
高句麗壁画には三足烏と共に鍛冶の民が描かれています。
三足烏は太陽の中に描かれています。
鍛冶の民の奉斎する神が太陽の中の三足烏なのです。
この壁画は北朝鮮と国交が無いのに日本であった展覧会のカタログを
たまたま購入していて画像が手元にあるのです。
このカタログを持っている人は日本でもあまりいないと思います。
前回は古事記や日本書紀の文献を読み、
日本書紀に書かれた神社の実例は簡単に紹介しただけとなりました。
今回は逆に、日本の神社の方から見ていきます。
日本の開拓者 賀茂氏
古代の北部九州に展開した出雲と水沼のハイブリット
―観世音寺の鐘、安心院・浮羽・高良山―
というタイトルです。
「日本の開拓者」と言ったのは真鍋大覚です。
賀茂の一族の名前が大宰府の観世音寺の鐘に陰刻されています。
これは天智天皇の時代のものですね。
そこに至るまで、福津や唐津、浮羽、安心院などなど、
北部九州に点在した賀茂氏の痕跡を見ていきます。
もちろん、ウィキペディアには出ていません。
ということで、2月11日の歴史カフェでは
古事記や日本書紀を読む時間がないので、ここで予習復習です^^
遅くなったから、続きは明日。
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