2018年 02月 23日
ウーナ15 ジュディス・カーペンターの訃報に接して
ウーナ15
ジュディス・カーペンターの
訃報に接して
歴史カフェに東京から参加してくれた、まーりんのブログを今日の午後、拝見して、そのリンク先に行くと、大野百合子さんのブログに入った。
懐かしい名前だった。
そして、サイドにジュディス・カーペンターの写真が載っているのでその記事を見たら訃報の記事だった。ほんの昨日、2018年2月22日に永眠されたという。
何というタイミングだろう。
大野百合子さんとジュディスに会ったのは第一回の幣立神社の五色人面祭だった。会ったと言っても、当方はセミナーの参加者という立場に過ぎないが。
偶然にも、その前日に人に誘われて参加した阿蘇でのセミナーの講師がジュディスだったという訳だ。
ジュディスは二つの石をタスマニアの海で拾い、それを二か所に納めよと言われた。その場所を探し求めてホピの村に行き、それから阿蘇にやって来たというタイミングだった。
ホピの村にも阿蘇にもトウモロコシがある。
そんな所は世界にない。
そんな話も彼女はしていた。
「ヘイタテ」という言葉はホピも使っていて、確か「戸を開ける」という意味だと話したと思う。
それから一ケ月ほど経った頃だったか、東京の友人が幣立神社の祭に来るというので、その友人に会いたくて参加したのが阿蘇の幣立神社の五色人面祭だった。
この時、ジュディスと再会した。(と言っても私は大勢の中の一人なので覚えられているはずはないのだが)
声かけしたら、大変上気したようすだった。すでに半分トランス状態だったのだろう。
彼女は幣立の巫女をしていた過去生があったという。
この時の祭は数千年ぶりの約束の時で、五色人が集まる年だったが、三人だけが集まり、一人足りない形になった。
ジュディスは白人代表だった。
赤人代表はホピのメッセンジャ―のクレイグ・カーペンター。
私はこのクレイグの方と何度か会い、縁を感じていた。
その後、ホピから届いたメッセージを『ガイアの森』の下巻に書いたのだが、未刊だ。
すっかり忘れていた話をこうして思い出しているが、ほんの十日ほど前、話の一部を大阪から来てくれた人、また東京から来てくれた人、とそれぞれに話したばかりだった。
ジュディス・カーペンターのご冥福を祈りたい。
その名に触れて、ホピ族と出会ったり、天河―天山を二、三度往復したり、穂高に行ったりしたことに思いを馳せた。
九年サイクルで春夏秋冬を迎えるとしたら、二巡目が今か。飛び回った土地との縁を掘り起こして意味を知る時が来ているのかもしれない。
<20180223>
ホピのメッセージ全文
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