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ウーナ16 天山1 三女神の影向 岩蔵の天山神社 702年



ウーナ16

天山1 三女神の影向 

岩蔵の天山神社 702年
 


影向(ようごう)とは神仏の来臨という意味だ。

佐賀の山々に三女神が祀られていることが意外に思われるが、『小城郡誌』を見ると、天山に祀られるようになった事情が書かれていた。

チェリーによると、
「広瀬・晴気・岩蔵の天山神社と明星山をつなぐと、ほとんど一直線」
ということだが、あいにく地図がない。

作図はチェリーに期待するとして(てか、ほぼ強要(^^♪)
今回は現地入りする前の下調べを先に記録しよう。
のちに、現地の方に案内いただければと思う。

事の始まりは岩蔵の天山神社のようだ。
時は飛鳥時代の終盤、大宝2年(702)になる。
『小城郡誌』より。


天山神社 小城市岩蔵2348


<岩松村大字岩蔵字馬場にある。
祭神は多紀都毘売命、市杵島毘売命、多紀理毘売命の三柱である。
当社は天山頂上にある上宮に対し、晴田村天山社、東松浦郡厳木村大字広瀬天山社と共にその下宮である。>
 ということで、祭神は宗像三女神。
一直線に並ぶという三社は共々天山の上宮に対する下宮となる。

<当社は文武天皇の大宝2年(702)口宣によって建立したもので>
文武、一条、二条天皇の勅願所だったという。
天皇の在位を調べると、
文武天皇(697~707)
一条天皇(986~1011)
二条天皇(1158~1165)
とあり、断続的に勅願所となっているのが分かる。

さて、「口宣」とは天皇からの勅命を口頭で伝えたものを文書化したものだが、何故天皇が命令したのかという点について、郡誌は「参考」として不思議な話を残している。
口語訳しながら紹介しよう。

<伝記書によれば、42代文武天皇の大宝2年(702)4月1日、小城郡高隅の里(のち岩蔵と改めた)の北山に不思議な奇瑞が現れ、松の梢(こずえ)に清らかな光が輝いてとどまった。

 その松のそばに木こりの家があった。光は里に照り渡った。人々は奇異の目でその光を見守った。
その日の夕方、村の七歳の童女が急に物狂いして話し始めた。
「われは東海より飛んできた神である。この地に長らく留まって国家を守護し、もろもろの災難を祓おう」と。

 その翌朝、松のそばに池が出来て清水が湧き出した。この里の九郎康弘という者が、清水の湧出を見て里人を集め、その松のそばに社を建てて神霊を祀った。
 この時からこの村を松本村と呼び、この松を「影向の松」と呼ぶようになった。

 この童女の子孫代々は命婦(みょうぶ)となって神事、祭祀を預かり神座を勤めた。そして九郎康弘が亡くなると里人はその末社に祀り、九郎大明神と名付けて本社の側に安置した。>

つまり、三女神の神霊が七歳の童女に神懸かりして、清水を湧出させ、ここで国家を守護すると語ったということだ。

 この神霊は東海から飛んできたという。それは何処かという答えは3年後に判明する。
(つづく)








つなぎレンガ座

3月4日(日)3時~5時
佐賀の神功皇后伝承
「天皇家を支えた武内宿禰の里」

-神功皇后は三度、訪れたー
会場 小城鍋島家Ten
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by lunabura | 2018-02-24 23:27 | 「ウーナ」 | Comments(0)
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