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ウーナ17天山2 安芸の宮島からの影向だった 岩蔵の天山神社 705年


ウーナ17

天山2 

安芸の宮島からの影向だった 
岩蔵の天山神社 705年
 


 不思議な光が松にとどまり、水が湧き出し、七歳の童女が東海から飛んできた神霊の託宣(たくせん)伝えたのが702年のことだった。
 『小城郡誌』の続きを読もう。
 
<それから三年後、慶雲二年(705)に芸州厳島(安芸の宮島)の人が当地にやってきて尋ねた。

「近頃、宮島から清らかな光が輝き起こって、西の海の方に飛び去りました。それからずいぶん経ちますが、どこに飛んで行ったのか分かりません。

不思議に思ってその光が留まった所を尋ねると、当地に留まったのが分かりました。何か不思議なことはありませんでしたか」と。

 里人が、奇瑞が起こって託宣が降りた話をすると、社人は大変驚き、宮島には帰らず、永らくここにとどまって社務をつかさどっているというのである。

現在、馬場に宮島姓が多いのはこのためである。

 最初に松本に神霊が影向した時には、はるか南の松林からも清らかな光が見えたので、小さな石祠を建てて、下の宮というようになった。
 
 それから後、祭の時には神輿(みこし)をそこまで降すといい、今は南松と称し、小祠がある。
 
 同年の冬10月、国司が右の奇瑞を帝都に上奏して天山大神宮と勅許をえて、北山は天山岳と名付けた。>

 こうして、岩蔵の松に飛んできた光は広島の宮島から飛んできたものだということが三年後に分かった。
 
 
 その話を都に上奏したのち、北山は天山岳という名になった。
 すると、天山という山名は705年以降の呼称ということになる。天山と名付けた由来は分からない。が、帝都と無縁のものではないことになる。

 帝都では誰が天皇だったかというと、文武天皇だった。文武天皇は14歳の若さで即位したので、持統太上天皇が院政を敷いていたという。持統太上天皇は大宝2年12月22年(703)に崩御しているので、当社の話はそれを挟んだ前後の年のものとなる。

 当社の三女神は宮島から飛来してきたもので、宗像からではないことが興味深い。



つなぎレンガ座
3月4日(日)3時~5時
佐賀の神功皇后伝承
「天皇家を支えた武内宿禰の里」
-神功皇后は三度、訪れたー
会場 小城鍋島家Ten
詳細はコチラ

おかげ様で満席になったそうです。
ありがとうございます。






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by lunabura | 2018-02-25 21:34 | 「ウーナ」 | Trackback | Comments(0)
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