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ウーナ25 七つの珠4 糸島の引津神社 若宮神社



ウーナ25

七つの珠4

糸島の引津神社 若宮神社
 



昨日、分からなかった「812年前」について、ブログを投稿して記録ノートを見返すと、次のようなメモがあった。

「宗像市八所宮 800年前の地震で埋まった。争いの時、救護所となった」
菊如の言葉をメモったものだ。

前回のアジャーシタの812年前という、妙にリアルな数字と関係あるのだろうか。

西暦1200年頃に地震はあったのだろうか。 
調べると、西暦1200年頃に南海トラフ地震が起きたとする説がみつかった。

そうすると、連動して大地は動いたかもしれない。
筑紫は鎌倉時代にも解決すべき何らかのトラウマを抱えているのかもしれない。



さて、私たちはこの日、糸島市志摩船越の綿積神社を離れ、裏の山への登り口を探しながら移動した。すると、「引津神社」に出た。







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ここからなら登れそうだ。
崋山がさっさと裏手にまわって登って道を探したが、結局見つからなかった。


ここはもともと「十六天神」と称したものが「引津神社」と改称したという。
祭神は日高彦穂瓊々杵尊。伊弉諾尊,伊弉册尊。
(ニニギ、イザナギ、イザナミ)

何故この三柱が祀られたのかは不明だ。
が、ニニギノミコトは糸島の志摩を中心として十数社祀られている。
歴史的な痕跡ではないかと考えたこともある。






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ここから船越湾?が良く見えた。



このあと、裏手の山に登って綿積神社の上に出ることは断念して、若宮神社に向かった。







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知る人ぞ知る桜谷の「若宮神社」だ。かつては「桜谷神社」と称したという。

志摩船越の半島の谷に鎮座している。








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祭神は「苔牟須売神」(コケムスメ)と「木花咲耶姫」の二柱だ。

「苔牟須売神」とは「磐長姫命(イワナガヒメ)」のことと地元では伝わっている。


『糸島郡誌』によると、「寛永元年(1624)11月5日、浦の漁人仲西市平の妻に神告ありて、初めて勧請せしという。文政六年再建せり。」とあることから、二柱は江戸時代に祀られ始めたことになる。

この「古計牟須姫命」が「君が代」と対応するという説があるが、時代的に整合しない事が分かった。


参拝を終えたが、二見ケ浦に戻るまでに時間が余った。

「るなさん、何処がいい?」
と聞かれる。
「豊玉姫といえば志登神社よ。」
「朝から、志登神社って言ってたね」

そう、豊玉姫なら志登神社でっしょ。
豊玉姫が上陸して髪をくしけずったという安曇の宮。
行くなら、そこでしょ。


<20180322>




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by lunabura | 2018-03-22 19:51 | 「ウーナ」 | Trackback | Comments(0)
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