2018年 05月 07日
ウーナ38 持統天皇4 対馬を守れ
ウーナ38
持統天皇4 対馬を守れ
讃良(さらら)皇女が27歳の時、父が死んだ。父とは天智天皇のことだ。
その直前、夫の大海人皇子は皇位継承の問題から皇太子の位を譲り、吉野に逃れた。
讃良皇女は10歳の子を連れて夫についていった。
しかし、夫は反旗を翻して戦い、勝利すると天皇に即位した。壬申の乱だ。
讃良皇女は皇后になった。
皇后が42歳の時、天皇が崩御した。
我が子は25歳。皇太子になっていて、天皇に即位するはずだったが、皇位継承の問題が起きた。しかし、ライバルは自殺した。
讃良皇后はしばらく天皇の代わりに政務を遂行していたが、その3年後に思いがけず、我が子が亡くなってしまう。我が子は28歳だった。
我が子は皇太子のまま亡くなってしまった。
孫はまだ7歳。
讃良皇后は自ら即位して持統天皇となった。このとき46歳になっていた。
当時の感覚なら、すでに老成した年齢だ。
気づくと周囲には誰もいなかった。
父も母も夫も姉も、そして我が子も黄泉の国に旅立った。
今、血を分けた身内は孫の軽皇子だけだった。
孫のために生き抜く決心をした結果の天皇即位だろう。
その持統天皇の耳に届いたのは対馬の国難だった。
対馬に異国人が上陸して、異国の風習を広めているという。
このままでは対馬を失う。
持統天皇は白村江戦の時の緊迫した情勢と敗戦の痛みを思い出した。
筑紫の陣営で出産した喜びと敗戦の恐怖。
対馬を守らねばならない。
持統は即断した。
この時の相談相手が藤原不比等だったのではないか。
不比等は亡くなった我が子に仕えていた男だった。30代。
不比等の母は蘇我氏。自分の母も蘇我氏だった。
しかも、不比等には天智の落胤説が根強くある。
これが事実なら持統にとって、不比等は異母兄弟となり、信頼おける間柄だった。
不比等の子・房前(ふささき)が討伐軍の将軍に抜擢されたのはこのような背景が考えられる。
討伐の年は不明だが、房前が15,6歳になって成人した時期であろう。
我が国は白村江戦でおびただしい船と兵士を失っていた。
房前が率いたのは新しく編成された船団だ。
持統の夫には自分が嫁ぐ前に既に妃がいて、武市皇子を生んでいた。30代で太政大臣になっていた。武市は宗像徳善の孫なのだから、宗像水軍の後ろ盾があったはずだ。
また、房前自身が不比等と讃岐国の海女の間に生まれた子という伝承がある。ここにも水軍の気配がある。
そして若い房前は軍船を率いて対馬に渡り、敵を退治した。
持統天皇の30回を超える吉野行幸にはこの戦いの勝利祈願が含まれていただろう。
勝利の知らせを聞くと、持統天皇は小城の「晴気の里」を褒美として房前に与えた。
房前はそこにある山に天御中主を祀った。それが天山である。
それから数年後。
701年、天山の雲が降りてきて、三つの天山神社が創建された。
持統天皇が孫に譲位して5年目のことだった。文武天皇も19歳になっていた。
702年4月には天山に光が飛来し、神託があって、泉が湧き出した吉兆が朝廷に届けられた。
この瑞祥を聞いた持統太上天皇は、これまでの苦労が報われた思いがしたことだろう。また、文武天皇の世の安泰が保障された思いがしたのではないか。
すぐに房前に天山池に蓬莱島を築かせた。これは文武天皇の口宣によるものというが、実際は持統太上天皇の命令だろう。持統太上天皇はその年の末に崩御した。御年59歳。
房前はその2年後、703年に巡察使となって東海道に向かう。蝦夷討伐に関わる派遣だった。歴史では房前の人生はこの703年からしか知られていない。
しかし、その前に対馬の役があり、勝利した実績があったことは誰も知らない。
天山神社の縁起には「房前の諱(いみな)が安広」だったことまで伝わっている。
佐賀には、失われた歴史の一部が奇跡的に残されていた。
それが天山神社の歴史なのだ。
対馬を守った持統天皇の功績を評価するときが来たのだと思う。
<2080507>
異世界小説
歴史カフェ
第2回 5月12日(土) 3時~5時
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会場:小城鍋島家Ten 佐賀県小城市小城町208-2 0952-72-5324
会費:1500円(別途ドリンク代)
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読み通すには一頑張りが必要かも。
読めば日本史の盲点に気付くでしょう。
ネット小説も面白いです。