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ウーナ43 天山11 晴気天山神社2 1002年に現在地へ



ウーナ43

 天山11 

晴気天山神社2 1002年に現在地へ
 


晴気天山神社の縁起を「小城郡誌」から紐解こう。

「参議藤原安弘文武天皇の口宣をこうむり、大宝2年(702)10月15日天山池の中に島を築き、蓬莱(ほうらい)島(仙人が住む島)と名付け、上に祠を建立して天山神の上宮と定め、下宮を靈貴山(一名烏帽子嶽という)に建立す。

長保4年(1002)、康家烏帽子嶽の下宮を当所に遷座し、諸祭祀を興した。

建立当時には文武天皇の口宣をいただいて小城郡神祇官領を下され、次に永代神領として郡内居住の四方三百町を寄進された。」

のちに参議という高い身分になった藤原安弘とは房前(ふささき)のことだ。
文武天皇は持統天皇の孫にあたる。

安弘は702年の10月15日に天山池に島を築き、祠を建立して上宮とした。
持統天皇はこの時、存命していたが、二か月後の12月22日に崩御している。

だから、上宮と下宮が出来たことの報告を受けていた可能性がある。


縁起の続きには、ちょうど300年後、1002年に烏帽子嶽の下宮を現在地に遷座したとある

すると、「烏帽子嶽(561.27m)の下宮」とは現在「中宮」と呼ぶところで、川内分校付近にあり、巨石を神体としている所となる。(広瀬天山神社の縁起による)


以上から、明星山と結ばれた二つの下宮(岩蔵と広瀬)のライン上に晴気が乗って来て、三つの下宮が揃うのは1002年のこととなる。


【長崎県肥前国小城郡村誌】には
「郷社、村の北内浦にあり。今の本社は天山社の下宮で、畑田ケ里天山絶頂9合目にあり、高山にあって、修繕保護が困難なため、中古に下宮の地をもって云々。」

とある。






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現地は急な斜面で、はるか遠く佐賀平野が見渡せる地だ。
しかし、ここからは他の下宮も上宮も見えない。
特殊な測量をして、意図的にここに遷座したということだろう。


【肥前古蹟集】によれば、
「大宝2年(702)霜月15日、弁財天が天山岳に飛来した。本山烏帽子ケ岳に影向された。ここを宮床と名付ける。(略)」


とあり、702年11月15日に新たに弁財天の飛来をみている。
その場所が天山で、影向したのは烏帽子嶽ということだ。
詳しい状況は書かれていない。




さて、ここで天山の神の変遷について整理しておこう。
701年の少し前に天御中主命が祀られたが、
光が飛来する奇瑞があり、安芸の宮島から光を追って来た人たちの話から、
市杵島姫および二女神、合わせて三女神が加わる。

そして、弁財天の飛来を見て、弁財天信仰となる。
市杵島姫と弁財天は同一で、神式から仏式となったともいえる。

これらがわずか数年の間に起きたことだ。

そうすると、持統天皇が与えた「晴気の里」とは、中宮、すなわち川内分校を含めた地域がメインと考えられる。



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チェリーが地図を作ってくれた。
中宮から東南の方向に、他と比べて傾斜が緩い小平野がある。
天山山系の稜線には赤いラインで示されたような、崩落と思われる地形がある。

氷河期が終わると、雪解け水は山を削りながら山津波となって下っていった。

土砂崩れに流された流木が途中に引っ掛かって堆積して、湖沼の地下で天然の亜炭になっていく。
土砂には粉砕された鉱物が含まれていた。


賀茂氏はわざわざそのような地を選んで入植していくという。

すぐ南に「八丁ダム」など、「八丁」(はっちょう)の地名が見られる。
「八丁さま」こそ、賀茂氏のことである。

おそらくは、ここで金属加工をする賀茂氏がいて、
その生産品の所有権を持統天皇は褒美として与えたのだと思う。


それと似たような例が東の方、綾部神社にある。
「忍海漢人をこの地にとどめ、兵器を造らしめたが、そのまま土着し」たという
綾部一族にとって、そこが工人として魅力的な土地だったのだ。

背振~天山の山塊は鉱物資源と薬草を生み出す黄金の地だった。
黄金と弁財天の名もまた融合していく。




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さて、もう一つの下宮が残っている。
広瀬があるが、参拝したあとに記録しようと思う。





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by lunabura | 2018-05-28 23:12 | 「ウーナ」 | Comments(3)
Commented at 2018-05-30 07:45 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by チェリー at 2018-06-11 02:31 x
lunaさん、地図の件でお手数をおかけしました。ありがとうございました。

賀茂氏が関わっているんですね!!大胆、かつ正確なラインが引かれていることが納得できると思いました。

それと、この地図の上の方で、左右に薄い黄色の帯がありますが、ごめんなさい、少し見にくいのですが、とても気になった部分なんです。
等高線が狭くなっている(=急な斜面)ところのすぐ南側に、等高線が広くなっている(=ゆるい斜面)部分があって、それが東西に連続しているんです。
Google mapやカシミールの3D画像で見ても、なんとなくわかる程度なんですが、あまりに不思議だったので、塗ってしまいました!

Commented by lunabura at 2018-06-16 22:08
チェリーさん、こちらこそありがとうございました。
すごく見やすくなりました。
黄色の帯はそういう意味なんですね。
何度も大変動があったのかな。
晴気にはなんとのちに千葉氏が住みました。
ウーナ52くらいで記述するかなあ。
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