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ウーナ51 ヤマトタケル1 小城の土蜘蛛のとりで



ウーナ51 

ヤマトタケル1 

小城の土蜘蛛のとりで
 




「佐賀の古代史を」。 
そう請われて小城に通い始めた。

小城(おぎ)について調べると『肥前国風土記』に「小城の郡」が載っていた。
吉野裕訳。
「郷は七所(里二十一)、駅は一所、烽は一所。
昔、この村に土蜘蛛があった。堡(とりで)を造ってこもり、天皇の命に従わなかった。日本武尊が巡幸された日に、みなことごとく誅しなされた。それで小城の郡と名づける」

砦をコギと言い、それがオギになったともいう。

当時の天皇とは景行天皇。
その皇太子のヤマトタケルが佐賀を横断しながら土蜘蛛や熊襲を討伐していったことが風土記に書かれている。


討伐というより、襲撃という方が実態に近いのではないか。
最近はそう思うようになった。

土蜘蛛にとっては晴天の霹靂(へきれき)だっただろう。

タケルはわずか一日でことごとく皆殺しにした。

出発地は鞍手(くらて)だ。
「脇巫女」の時代に遡ることになった。

土蜘蛛がいた場所は特定されているのだろうか。
現地を見れば分かるだろう。
地形こそ答えだ。






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そう思って小城に入ると、
目に入ったのは山肌に取り付けられた長い石段と鳥居だった。

一見して、ここは砦(とりで)だと分かった。
地元ではどう言い伝えているのだろうか。
滅ぼされた土蜘蛛の居所だと伝えているだろうか。

武雄や杵島(きしま)では土蜘蛛たちの名も伝わっていたが。
小城では有力な史料はまだ手に入らなかった。

小城鍋島家Tenのスタッフに
「ゆめぷらっと おぎ」に案内されて展望すると、
正面にその石段があった。



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須賀神社という。
その右手には千葉氏の居城があったという。

城と砦。
神社の建つところは砦だったに違いない。
自分が城主ならそうする。

そこにこそ、金属を生産する土蜘蛛がいただろう。

その証拠に冶金の神が祀られているはずだ。
それを見つければほぼ確定だ。

そう思いつつ、ようやく四回目の歴史カフェの後、現地入りすることができた。

2018年6月9日のことだった。


20180615





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by lunabura | 2018-06-15 21:45 | 「ウーナ」 | Comments(0)
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