2018年 10月 05日
ワダツミ17 貴布祢神社 白砂清松の長浜だった
貴布祢神社
白砂清松の長浜だった
和布刈神社を後にして、北九州市の門司区から西へと向かった。
途中、菊如の依頼で手向山(たむけやま)へ。
武蔵の名で知られる山だ。
桜の名所だが、この日はまだつぼみだった。
それからもう一件、小倉北区の貴布祢神社に立ち寄った。
手向山から西に約2キロの所にある。
小倉駅にも近い。
今は想像もつかないが、ここは白砂清松の長浜だったという。「企救(きく)の長浜」「企救の高浜」と呼ばれていた。
この小倉から東の門司大里まで砂浜だったのだ。
万葉歌が残されている。
豊国の企救の長浜ゆきくらし 日の暮れゆけば妹をしぞ思ふ
豊国の企救の高浜たかだかに 君待つ夜らは小夜ふけにけり
旅の途中、長い夜に恋人をしのぶ歌だ。
「企救」といえば、「菊」とも書き、菊物部の名にその名が残っている。
「企救」の由来は「コンパスとサシガネ」を「北斗七星」に例えたことから来ていると真鍋は伝える。
https://lunabura.exblog.jp/26514858/
この地域を「企救」と呼んだのは豊の国の宇佐の集団だそうだ。
ここは豊の国の最北に当たる。
http://www.kcta.or.jp/kaidou/shiseki/kokura/kihune/kihune.html
によると、祭神は
高淤加美神、闇淤加美神、上筒之男神、中筒之男神、事代主神、綿津見神、相殿に蛭子社、榊姫社、八大龍王社、役の行者(えんのぎょうじゃ)
祭神名を見ると、高淤加美神、闇淤加美神は若松の貴船神社(上巻9)、
八幡東区の勝山勝田神社(上巻3)にも祀られている。
龍神であり、峡谷の水神、船玉の神でもある。
上筒之男神と中筒之男神は住吉三神の二神。表筒之男神が祀られていない。
綿津見神が祀られていた。
綿津見神社社伝(下巻75)によると、昔はワダツミの神を八大竜王、あるいは竜王と呼んだという。
本殿の右手にその八大龍王が祀られていた。
それから、上記に書かれていない弁財天社があった。
ここは船人たちが必ず手を合わせて船旅の安全を祈った宮だったのだ。
小倉城建築の際、ここに遷されたという。
不思議なことに、境内に入るなり、白皇が頭が痛いと言う。
この時は思いも及ばなかったが、あとで白皇の過去生と縁の深い地だと分かった。
北九州市小倉北区長浜町2-21
20181005
異世界小説