2018年 11月 07日
安部島とは相島のこと
安部島とは相島のこと
相島を安部島と呼んでいた
今日は『筑前国続風土記』の14巻の遠賀郡上を読んでのメモです。備忘録ですね。
【垂間野(たるまの)橋】
「島づたひとは志賀島、安部島、大島、勝島、地島、などつたひ来りて、迫戸(せと)をわたれるなるべし。」
これは志賀島から東へのの島伝いを書いたものですね。
相島が「安部島」と書かれています。
相島にも「安部嶋窟観音濫觴」(あべのしま・あなかんのん・らんしょう)という記録があるのですが、これで傍証が取れました。
安部嶋と呼ぶようになったのは安倍宗任が流されたからではないかという説があります。
安倍宗任が配流された所としては大島に具体的な伝承地が複数ありましたよ。
夢の小夜島もそうですね。
相島の剣神社の神体となった剣は安倍宗任のものではないかと言われています。
島伝いにこっそりと移動していたかもしれませんね。
後に宗像氏の日朝・日宋貿易の時に重要な役割を果たしたのではないかと言われているそうです。
阿部氏である宮地嶽神社から光の道の先に相島が見えています。
安倍→安部→阿部
と変化したと思われますが、安部島とは「阿部氏が掌握していた島」という意味かもしれないなと思うこの頃です。
20181107