2018年 11月 09日
手野の語源 高倉神社の毘沙門天像を立てた須藤駿河
手野の語源
と
高倉神社の毘沙門天像を立てた須藤駿河
『筑前国続風土記巻14遠賀上』に「手野」という地名の語源が出て来た。
珍しい地名で、語源のイメージがわかない。
「手野」には大国主神社がある。
ずっと昔参拝したが、まだデジカメを持っていない頃なので画像がないが、印象に強く残っている。
口語訳しよう。
〈○天(て)野村
今は手野村という。しかし古い文書には天野と書いている。
村中に須藤駿河の家の跡がある。
この人は大富豪で、高倉神社の毘沙門天を立てた人である。
この村の境内に雨乞山がある。
昔、ここで雨乞いをして天に祈ったので天野というが、
一説には神功皇后が高倉神社に詣でてお帰りになった時、鎧(よろい)の小手をここに残されたゆえ、小手村といったのを、後世「小」の事を取って手野村という。〉
ということで、二説あった。
1.天に雨乞いしたので天野といい、それが手野に変わった。
天野は昔、「ん」が発明されていない時代に読み仮名を付けると「ての」と書いて「てんの」と読ませていたが、のちにそのまま「ての」と発音するようになったようだ。
「遠賀」は「おか」と書いて「おんが」と読ませたのと同じケース。
2 神功皇后が高倉神社から戻る途中、鎧の「小手」を残したことからついた。

地図を見るとどうやら小舟で移動したようだ。
高倉神社には室町時代の毘沙門天像があって、技術的にかなり優れているらしい。

これを奉納したのは須藤駿河という人で、手野に住んでいたという。
今年高倉神社に行ったが、銅像は調査のために東京かどこかに出張中だった。

さて、上記の本には香月の杉守神社にある鉄の鳥居は蘆屋の鋳物師須藤氏が制作したものだと書かれていた。
同じ須藤氏だ。
香月村に次郎太という力持ちがいて、鳥居を蘆屋から船に載せて黒川まで来て、そこから杉守神社まで6、7町(6~700メートル)の距離を一人で鳥居の柱を一本ずつ持って行ったそうだ。
ブログに書いている神社が出てくるので面白い。画像もあった。
(2月にバスハイクでも行く所)
須藤氏は鋳物の関連で銅も鉄も扱っていたのがこれで分かる。
さてさて、この手野の大国主神社で崋山に豊玉姫が憑依した。
まだ謎解きの途中だが、語源が出て来たので記録しておこう。
ここで関連して出て来たクグマ族は金を扱ってひどい病気になっていたが、上の画像に出てくる孔大寺山では金が採れ、大島でも盛んに金が採掘されていた。
「手野」は異世界でも同じ風土なので面白く感じた所なのだ。
20181109








