2018年 11月 20日
老司式瓦と「老司、野多目」の語源
老司式瓦と「老司、野多目」の語源
古代瓦が古代史の論点の一つに挙げられていますが、さっぱり分かりません。
で、西日本新聞に小田富士雄さんの聞き書きシリーズが掲載されているのですが、昨日(20181119)の記事に分かりやすい説明がありました。
これによると、大宰府政庁など九州にあった古代官衙(かんが・役所)や寺に使われた瓦の型式に、「老司式」(ろうじしき)と「鴻臚館式」(こうろかんしき)の二種類があるそうです。
老司は地名です。鴻臚館は古代の迎賓館的な所。
これを命名したのが小田富士雄さんで、老司式の特徴は唐草文様のデザインが片流れになっていて、三角形のギザギザの鋸歯(きょし・のこぎり形)の文様が付いているのだそうです。
これに対して、鴻臚館式は唐草文様が中心から左右対称になり、鋸歯紋が無いそう。
これで分かりました!
この画像を見ると、ギザギザがあり、唐草文様が流れているので老司式と分かります。
画像は老司公民館からお借りしました。
で、「老司」という地名について。
今日もまた偶然ですが、これを読んだあと、たまたま広げたページに「老司」の語源を書いた文章が出て来たのです(笑)
真鍋大覚の「那珂川の地名考」72です。
〈太宰府は武内宿禰が神功皇后23(223)年に異邦人の筑紫への入国、筑紫からの出国を掌握する官衙を設置したに始まる。〉
と驚く事を書いていますが、その大宰府が発展すると皿や壺などの陶器の需要が増し、窯元はその原料確保に奔走したそうです。
粘土の多い泥の底には赤土が沈殿していて、塩分を多量に含んでいるので、陶器の材料に適し、素焼きでも釉(うわぐすり)がいらない壺が出来たそうです。
この土を「に」と言い、土買いを「にかひ」と言い、新治(にかい)と書いたそうです。
こうして、塩分を含んでいるため需要が無かった土地の子孫が一躍、千万長者になったとか。
神話に出てくる塩土翁とは塩田、塩原を経営していた神で、それ以外に赤土の採掘権を保有する神でもあったとか。
これを万葉の頃には盧人(ろじ)と呼び、それが老司(ろうじ)に変化したそうです。
赤土は川が蛇行する所に堆積し、ここで土取りを深くしていくと水が溜まって仕事がはかどらなくなるため、川の水路をまっすぐにして水を流します。これが「野多目」だそうです。地名がありますね。
老司では良質の赤土が採れ、そこで瓦を作ったのですね。
そのデザインが老司式と呼ばれるようになった訳です。
これで、瓦の事が一つ理解できました♪
20181120 真鍋ノート
福岡市南区老司 野多目