2018年 11月 22日
韓流「スベクヒャン」と「磐井の乱」って同じ時代(*_*)
韓流「スベクヒャン」と「磐井の乱」って同じ時代(*_*)
韓流ドラマはなかなか見ることは無いのですが、「スベクヒャン」に「武寧王」の名が出てきて「え?」と立ち止まり、どんなふうに描いているのか時々見ました。
恋愛や陰謀があり、時代考証も現代の物が沢山使われて自由自在でしたし、系図も自由に作り変えてあります。
でも、武寧王といえば、唐津市の加唐島で生まれたという人なので、時代感覚を作るのにいいかな…と。
で、武寧王の没年を見ると523年です。
磐井の乱が527年ですから、武寧王と磐井君は同時期の人で、互いに知っていたことになります。
で、ドラマには太子にミョンノンという人が出てくるのですが、この人が聖明王となるとしたら、このブログにも無縁ではなくなるのです。\(◎o◎)/!
聖明王の子・余昌とは、鞍橋君が助けた人だからです。
余昌と鞍橋君は共に新羅に侵攻して砦に籠城し、聖明王(ミョンノン)が援軍を率いて向かう途中で王は殺されてしまいます。
そして、鞍橋君が敵将を射て、敵が動揺している間に砦を脱出します。
だから鞍橋君は余昌の命の恩人です。
これは「日本書紀」に長々と書かれているのです。
このあと、鞍橋君は鞍手郡の新北、新延を褒賞としてもらいますが、系図では葛子の子となっています。
熱田神社の始まりの人となりました。
「くらじ」が「くらて」の語源になったという説もあるくらい重要な人です。
(でも、鞍手では殆ど忘れられている)
これは磐井君が新羅派ではなく、百済派であることも示しています。
で、話を戻すと、
ドラマのミョンノンと恋人ソルランが結婚して余昌が生まれるとしたら、
ミョンノンは新羅行軍の途中で死ぬんだなあ、と思いながら見ていたのです。
鞍橋君はミョンノンに面会したに違いありません。
でも、ミョンノン(聖明王)は戦死した王なので、多分韓流ドラマでは造られないのでしょうね。
ここら辺の話を近刊「宮地嶽神社と磐井の末裔たち」で詳しくします。
20181122