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ひもろぎ逍遥

沖出古墳2 床も壁も赤く塗られていた石室



沖出古墳2 

床も壁も赤く塗られていた石室






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円墳に付けられた階段を上っていくと、上方に石室を覗くガラス張りのドアがあります。もちろん開けられません。







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これは石室の出土時の画像です。石室の長さは3.7m、幅1.49m、高さ1.2mで、壁は赤く塗られていたそうです。

床には粘土が張られ、その上に赤く塗られた川原石が敷き詰められていたとか。
床も壁も赤かったとは!

石室の高さが1.2mですから、中に入るのは大変ですね。

造られた順が書かれていませんが、床を作り、石棺を置いて壁を作るのでしょうか。



盗掘されているので出土品は少ないのですが、3種類の石製腕飾りと管玉、ガラス玉、および鉄製品(刀、剣、斧、鏃、刀子)が出土したそうです。


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イラストの女性が両腕に付けているのが腕飾りですね。

石釧、車輪石、鍬形石です。


蓋も盗まれているとは、よほど素晴らしい彫刻でもあったのでしょうか。



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石室は主軸と直交しています。北枕だと書かれていましたが、主軸は東西でなく、傾いているので、やや北よりか、という感じです。



説明板には沖出古墳は「埋葬施設などからもヤマト(大和)政権と強い結び付きのあった人物のお墓ではないかと考えられます」と書かれていました。


西暦300年代に日本って中央政権があったのだろうか。
ヤマト政権って何県ですか?


「前方後円墳はヤマト政権の許可があって造られた」と、歴史講座でよく聞きます。

これについて、ある時、その証拠や文献を質問された方がありましたが、学芸員の方の答えは「これまでの偉い先生方が研究された成果です」と言われただけでした。

だから、未だに「ヤマト政権」って何県の何市に何という王がいたのか、よく分からない単語なのです。





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これは近くの次郎太郎古墳群から出土した埴輪君。
王冠をかぶってますね。
このデザインは那珂川市、朝倉市、行橋市でも見ましたよ。

中世ヨーロッパの王様の冠のデザインが古墳時代にあったんですねえ。


20181130




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by lunabura | 2018-11-30 21:04 | <古墳シリーズ> | Comments(0)

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