2018年 12月 19日
北部九州 古墳分布図 四世紀後半
北部九州 古墳分布図
四世紀後半
「四世紀後半」の向野田古墳と沖出古墳を続けて投稿したら、やたら「四世紀後半」のキーワードが目につきまして。
自分の過去ブログを見るといくつかUPしていました。それを整理してみると、みんな柄鏡型古墳でした。
柄鏡型古墳だから四世紀半なのか、埴輪が朝顔形だからそうなのかは分からないのですが、地図に落としていくと、何となく倭国の力学関係も見えるような感じがして、ちょいと面白い。
小郡市の消滅した三国の鼻一号墳が四世紀中頃ということなので、この中では一番古いです。沖出古墳は四世紀の終わり頃なので、一番新しいと思います。
名前の後の数字が全長で、メートル単位です。
大きさでは一貴山銚子塚古墳がダントツで、副葬品も一番多いです。一度行ったことがあるのですが、あまり価値が分からない頃だったので、今はこの古墳をもっと知りたいと思っています。埋葬状態がそのまま残っていたのです。
多数の鏡など、出土品は京都大学が持ち去ったので、地元の私たちは見ることが出来ません。平原遺跡と共に博物館で見られるようにしていただきたいなと焦がれている古墳です。
せめてカラーのパンフレットが欲しいですね。いつも書いていますが、持ち出した大学や資料館は地元に還元して啓蒙する義務があると思います。年に一度の里帰り展などを積極的に企画してほしいですね。
さて、免ケ平古墳は現在、西日本新聞で掲載されているのですが、三角縁神獣鏡が出ています。卑弥呼より100年以上経っても、銅鏡が愛されているのが良く分かります。
この分布図は今現在出会っている古墳ばかりです。これから少しずつ更新していくことになると思います。
謎の四世紀と言われますが、神功皇后を支えた豪族たちと重ね合わせていくと、誰がここにいたか良く分かりますね。
次の時代になると鎧や兜が見られるので、四世紀後半はまだまだ弥生の彩りが残っているような印象があります。
20181219